懐かしい“お使い”・・「何をお包みいたしましょう」

昼食のあと、桜餅を一個食べた。北海道十勝産・小豆・国産もち米使用のつぷあん。消費期限が2日の関西風だが、結構おいしいモノだ。
ボク自身もそうだったが、もう嫁いでいった娘たちにも、子供のころよく駄菓子屋へお使いに行かせたことがある。いまは孫娘がお使いが好きなようだ。でも、駄菓子屋さんはもう見当たらない。
今日買ってきた桜餅もスーパーからだ。近くに割りと評判のいい和菓屋さんがあるが、どれも結構なお値段がする。最近では、親から頼まれた子供のお使いもたいがいコンビニで済ませられるから、店員さんとのやり取りが記憶に残ることも稀だろう。
ともあれ、入学式のシーズンがやってきた。桜の季節だが、式に招かれたりして、休息時のお茶請けに桜餅などが出されていると頂戴したくなるものだ。

幸田文にこのような随筆がある。
「何をお包みいたしましょう、といういいかたは、いまではほとんど聞かれなくなってしまった。私は子供のころそれをお菓子屋さんでよく聞いた。小学校も三四年になるとお使いがおもしろくなって、頼んでもさせてもらう。はははお使いに行くさきを択んでさせてくれた。へたにお使いをさせて愚劣なことばかりおぼえては困るというのだろう、それで比較的品のいいお菓子屋のお使いなどをした。店さきには鹿の子餅、しぐれ、松の雪、きんつばなど、とりどりにならんで、どれにしようかときめわずらっていると、そこのおかみさんが出て来る。奥と店との境にさげた紺暖簾から、日本髪の鬢を少しかしげ、襷へ片手をかけて、『いらっしゃいまし』とそこへ膝を折る。子供へもそう丁寧なのだ。私はうろうろと見ている。『何をお包みいたしましょう』といわれると、なんとなく安心する。それは、ゆっくり見ていらしていいのですよといわれたようでおちつくのである。『きょうはお天気がよろしゅうございますから桜餅のような匂いのたつものはいかがで。』そういわれると桜餅のいい匂いが、いまもうこの口もとにあるような気がして、まずそれがきまった・・・・・・・・。
 私には『何をお包みいたしましょう』は、おいしいものに直結していた。・・・・」(幸田文:≪台所帖≫より)
雨の日に桜餅はお似合いではないものの、文房具屋や玩具屋などもそうだが、街のお店の女将さんのひと言で子供のころのお使いも楽しいものになる。