経済的価値が崩れると伝統と云う名の“郷愁・懐旧”が頭をもたげる-警戒すべし

「伝承に創造を加えて伝統となる」と誰かが言っていた。なるほどと合点がいく言葉だが、辻井喬氏の≪新しい伝統観≫には覚醒させられた。
氏は“伝統は郷愁ではない”と次のように明解に語る。
「伝統は風土と気候に深く影響されながら、それによって決定されるているのではなく、その時代の社会構造・価値観・感性がそれを通じて表に現れる美の法則のようなものとして作用しているのである。十五年戦争と呼ばれる昭和初期から敗戦までのあいだ、もっとも多く使われた水という言葉は『水漬く屍』であり、風という言葉は『神風』であった。これは戦いに自らの生命を投げ出さざるを得なかった青年の苦しみと至情を飾るために、ひいては戦争の目的を感情として正当化するために“伝統”を悪用した例であった。そのようなイデオロギー優先の態度のなかで伝統は死滅する。別の言い方をすれば天皇の名を冠した軍国主義が日本を支配していた時代は、伝統にとって冬の時代だったのである。

 その冬の時代は、敗戦後、伝統観そのものが点検され直すことなく、非難され否定されたために伝統は凍結状態のまま平成に至るまで持ち越されたのであった。その間、わが国を支配したのは伝統とは無縁の経済的価値てあった。その経済の時代、伝統にとって残された通気孔は商業演劇であり商業美術であり、商業と名のつく生産性促進活動のなかにわずかに生存の徴しを現していたのであった。しかし、その経済至上主義が、バブルの崩壊で勢いを失った時、再び伝統論が敗戦前の悪用の歴史を点検することなく持ち出されようとしている』

カジノ経済が破たんしたいま、「伝統」という名の郷愁に手を貸してはなるまい。