乱れ、荒らされている日本語-使い方が難しい

早いものでもう20年前になるが、ソウル五輪の体操TV中継でNHK某アナウンサーが『ソウル・オリンピックで引退を賭ける李寧選手です』ときた。
≪引退を賭ける≫とは何ぞや。うっかり聞き逃しそうだったが、こいつははおかしい。“再起を賭ける”ならわかる。引退は賭けるものじゃない。賭けなくたって引退はできる。とんでもない日本語の活用ミスだ。

最近、年齢を問わず特に女子に目立つが、「・・・でェ」という言い方が耳障りだ。「・・なので」と言うべきところだろうが、「・・だから」とどう違う。この「ので」と「から」もニュアンスが微妙に違う。だから使い分けを注意せにゃならぬ。
「雨が降ったから休む」と「雨が降ったので休む」のどこが違う?
なんでも≪行為者の意志の有無≫とかいうものがちがうそうなのである。「降ったから」と云えば客観、「降ったので」と云えば主観、だから言い訳したいときは「ので」を使った方がいいらしい。
外来語が氾濫して日本語が乱れているという。なるほどカタカナ言葉をやたらと使う偉い人もおいでだ。それじゃ、外来語と云えばカタカナ語かと云うとそうとも限らない。
例えば、1989年1月7日に時の小渕官房長官が新たな元号をTVを通じて国民の前に発表した。
その由来を紐解けば--内平外成(内平らかに外成る=『史記』)
--地平天成(地平らかに天成る=『書経』)
すなわち「平成」。これぞ外来語なりだ。
江国滋さんに倣って日本語に八つ当たりするつもりはないが、普段何気なく使い、耳にしている我が国の言葉は荒らされ、乱れ、粗雑になり、それだけ使い方を用心しなけりゃならないわけだ。