「知識人」とは? そしてその“その責任”は・・・

世の中に“知識人”と呼ばれる人がいるが、その概念がはっきり掴めない。
仮に、「知識人」を公の舞台に出る特権と資質を手にしている人々だと定義すしよう。ならば、そうした人たちの“責任”とはなんだろう。Norm Chomsky(ノーム・チョムスキー)の次の論を引用する。
「≪知識人の責任≫という言葉にもあいまいさが潜んでいる。つまり、知識人の責任の“あるべき姿”という意味なのか、それともその“実際”という意味なのか、はっきりと区別がつかないのである。“あるべき姿”という意味でいえば、知識人の責任とは、まさにまともな人間ならば誰でも果たすべきものであろう。ただし知識人のそれは一般人より大きいものだろうが。特権のある者には機会が与えられ、また機会を得た者には道徳的責任がともなうものだ。
われわれは、野蛮で暴力的な国家でおとなしくしている知識人たちを、その『権力への順応主義的な服従』ゆえに、当然非難する」
ボクは知識人と呼ばれる人は“高度の道徳的責任”を負わされていると思う。権力や体制への太鼓もち、おべっかはご免被りたい。 
Norm Chomskyは反体制知識人であるがゆえに、その鋭い論調は米国社会のmain streamから無視されることが多い。

1年半前、他界した『裸者と死者』のNorman Mailerも生涯、反戦派とリベラリストを貫いてきた。世の異端児扱いされ、悲惨な目に遭わされる定めにある反体制知識人こそ“あるべき姿”の知識人ではなかろうか。