史実の謎解き--時代モノの“想像”にも許容範囲を守るエチケットがある

NHK大河ドラマが始まると、主人公に関する書物が次々と出る。特にヒットするとそうだ。「篤姫」もそうだったが、今年の大河「天地人」も放映に合せて、直江兼続を題材にした新書、文庫本、単行本の出版が続く。
 が、兼続だが、上杉謙信の影に隠れ、日本史に明るくない者にとっては余り馴染みのない人物だ。
ボクは10数年前、藤沢周平の長編『密謀』を読んで、この戦国の武将の存在をはじめて知った。天下分け目の戦い関が原の合戦の背景に、“兼続と石田三成の密約があったのでは”との憶測のもと『密謀』が書かれたといわれているが、周平さんご本人はエッセイのなかで次のように語っている。


米沢藩上杉について、なかでも私の最大の疑問は、関が原の合戦における上杉の進退ということだった。この戦いで上杉は会津百二十万石から米沢三十石におとされる。
 その封土削減は、もちろん関が原での敗戦組に回ったせいだが、精強をほこる上杉軍団が、あの天下分け目の戦いで、戦らしい戦をしていないことが、私には納得がいかなかったのである。人がいなかったわけではない。謙信のあとをついだ景勝は沈着勇猛な武将だったし、執政には、当時屈指の器量人と呼ばれた知勇兼備の直江兼続がいた。
配下の武士は謙信以来の軍法をわきまえ、伝統の精強さを失ってはいなかった。
 その強国上杉が、あの重大な時期に戦らしい戦をせず、最後には会津から米沢に移されて食邑四分の一の処遇に甘んじたのはなぜだろうか。M紙に連載した『密謀』は、およそそうした長年の疑問、興味に、私なりの答えを出してみたい気持ちに駆られて書いたのである」
 そして、藤沢周平の定義する歴史小説とは・・
「・・・事実は歴史小説も小説にすぎないのだと私は思っている。ただし、小説だから歴史的事実の方も適当にあんばいしていいことにはならず、歴史小説であるからには、従来動かしがたい歴史的事実とされて来た事柄は尊重しなければならないだろう。また、歴史小説は、そういう歴史的事実に作者の想像力が働きかけて成立するわけだろうが、その想像も野放図でいいということにはならないだろう。想像は小説家の領分といっても、ここにはおのずから許容範囲というものがあり、大きく逸脱しないのは歴史に対するエチケットというものである」
 これこそ、まさに他の追従を許さない周平の小説作法の真髄だろう。ボクが、氏の歴史モノをあえて時代小説とだと考える所以はここにある。