離れて生きて

高等学校に在職中、卒業生の記念文集に寄せた巻頭言の原稿が古いファイル帳から出てきた。

「1月半ばの土曜日の昼下がり、現在米国に留学中のの卒業生が前触れなくボクの部屋に入ってきた。昨春卒業後五月に渡米し、コロラド州デンバーの私立大学付設の英語学校に通っていたが、12月に無事終了したとのこと。この冬休みを利用して暮れから一時帰国していたがまもなくアメリカに帰るというこの女子学生、留学に際してボクに英文の書類を頼んだこともあってか、挨拶と報告に訪れたわけだ。律儀である。『これからどうするの? 専攻は?』いつもの判で押したようなこちらからの問いかけに『まず二年制に入ります』
コミュニティ・カレッジを出発点に演劇を専攻したいようだが、その先、確たる見通しは立っていない。また来年1月帰国し、日本で成人式を迎える。大学では学生寮で暮らし、食事は三食ともカフェテリア。ルームメートはベネズエラ人。留学生にはエスニック・グループが多い。勉強は最初の4、5ヶ月が苦しかった。友だちとの日常会話はいま一歩の域だという。こんな平凡なやりとりを通じて、この卒業生の清楚で飾り立てのない堅実な足取りが見て取れた。
来年はどんな話が聞けるだろうか。今頃はもう、冬は零下20℃を下回る厳寒の、春まだ遠いロッキー山麓デンバーに戻り、スーパーボール2連覇を狙うAFCの王者、地元ブロンクスの活躍に胸躍らせながら五月から始まる現地での大学生活の準備に励んでいることだろう。帰り際に『1年足らずでずいぶん成長するものだねェ。驚いたよ』
 思わずこんなセリフを洩らしたところ、『へェ、そうてすか』と頬を紅潮させながら部屋をあとにして行った。
『よく生きるためには、離れて生きなければならない』 
必死に勉強している留学生に限らず、自立した骨太で質朴な卒業生を目の当たりにすると、しばしばデカルトのこの言葉が頭をよぎる。・・・・」(1999.1.20記)
ちょうど一昔前、20世紀末の拙文だが、時代は変わろうとも、何故か同時代性を感じる。