いまチャップリンがいれば・・・(続)「名画座」

1970年代半ばの1時期、高校の正課に「必修クラブ」があった。それぞれの教師がいろんな講座を開講、ボク自身『映画教室』を開講した。20名ほどの生徒が受講。日本映画史の流れを勉強しながら、ほぼ月1回名画の16mmフィルムを借りて映した。
 当時、チャップリンリバイバルが世界的に起きていた。そのため、チャップリンのモノクロ短編無声モノを廉価で借りて視聴覚教室で映写した。『街の灯』『ライムライト』など、高校生にとってチャップリンは新しい発見だった。

 三年前になろうか、BS2がチャップリン特集を組み、連続放映した。制作された年月は古いが、この上なく新鮮で、現代的な、そしてまた未来的な、驚きに満ちた魅力は変わらなかった。
 チャップリン関連の書物も多い。淀川長治の『私のチャップリン』、岩崎昶の『チャーリー・チャップリン』。ともに良書である。
でもやはり『チャップリン自伝』(新潮文庫)を読むべきだろう。最後の部分に≪戦士の休日≫という言葉がある。悪戦苦闘のすえチャップリンは一定の勝利を得た。その生涯を振り返り、闘いの後の安らぎを覚え、自伝の最後を締め括る。
「こうした幸福に浸りながら、わたしはときどき夕暮れのテラスに坐り、広々とした緑の芝生ごしに、はるかな湖、湖の向こうの悠然とした山々を眺めていることがある。そんなとき、わたしはなにも考えていない。ただ目の前のこの壮大な静けさをひたすら、じっと楽しんでいるのである」(中野好夫訳)
 チャップリンは1889年生まれ。奇しくもヒットラーと同年である。1940年そのヒットラーを痛烈に諷刺・批判した『独裁者』を制作、各国で上映禁止なった。

 笑いと涙を武器に世の不条理と闘った平和主義者のチャップリン。いま健在ならば、現代をどのように映し出すだろうか。
 Barack ObamaとCharlie Chaplinの対談を夢想する。反実仮想だが、仮に実現すれば、“Change”の中身も磨きがかかるだろうに・・・。