家族と過ごす時間が増えたものの・・

雨が降ったり止んだりの日曜日である。
小三治じゃないが、「噺も“まくら”もしたくない」。いつものお粗末な社会時評や世相診断、国際情勢の鳥瞰図は本日は休演とする。
お昼前から、池袋芸術劇場にでかけた。芝居見物ではない。この時節恒例の都内高校生の書道展を観にいった。物言わぬ見事な作品に圧倒された。無言の書がボクたちを惹きつける。その力はなんと称すべきか。最近、「・・力」というフレーがが大流行だが、見事な書道作品をみて、筆力とは言い難い。“書力”なんて言葉もいただけないだろう。
力と云えば、定年退職して半年を過ぎ、しみじみとカミサンの力には感服する。家族と過ごす時間が増えたとはいえ、その家族を良い意味で支配している。その威力に圧倒されている我輩は“主夫”なんてものとは今後も末永く無縁であろう。

よくUSAやNZに出かけるが、あちらの亭主たちは5時過ぎに起床し、ビックリするほど早朝に職場に向かう。が、滅私奉公の働き蜂かというととんでもない。午後4時ごろにもなると職場を退出して、5時過ぎには帰宅。子供相手に遊んだり、家の仕事に精を出す。力仕事はもっぱら亭主の任務だ。カミサンが子供と庭の落ち葉の掃き掃除をしているところなとが見つかれば大変だ。『親父が女房を虐待している』とご近所から謗られる。家で過ごす時間が増えるのも良し悪しだ。悩みは多い。我輩など「女房虐待亭主」の典型だからだ。