秋深き夜長、泥酔客も気分は軽快?

久々に夜遅く、私鉄電車で帰宅した。

乗ったのが各駅停車、いつもの最寄り駅の二つ手前駅が終点だったが、四十代と思しき男性が座席からビクとも動かない。のけぞって爆睡模様だ。困り顔の仲間の男性と車掌さん、そこに駅の助役さんがかけつけ三人で車外に引きずり出すのがやっとである。
ホームのベンチに座らされた泥酔客が細目を開け、顔を上げて「ここはどこだい」ときた。
お仲間が「駅だよ。無理したなお前」
酔客「もう駅か。降りるか」
と、威勢はいいものの、まだ足腰は立たない。お三方に改札まで引きずられていたったが、気分は軽快のようである。
さすがにこうした場面からは女性は遠ざかる。それでも、深夜近くの
駅のホームの一風景を微笑ましく眺めている女の人もいる。季節を感じさせてくれる。
幸田文の「草履」にこんな一節がある。
『女の人は、春の感じの人も秋の感じの人もいます。それがおばあさんになると季感から外れて、無季の女といったふうになります。私はまだ当分、焚火のにおいを身につけている女でありたく思うからです』
さすがに夜更けの駅のホームにはおばあさんの姿はみられなかった。