教え子たちの遥かな思いを感じるべし

教員採用試験をめぐる前代未聞の汚職事件で県教委NO2の審議官が逮捕された。この審議官はかつて中学のベテラン教員でもあった。国語を専門とし学級担任の経験もある。その教え子の一人にこの事件の県教委担当のM紙O記者がいる。記者の目に映っていたのは剛健で温和な良い先生だ。恩師であるその審議官を容疑者と呼ばなければならない。記者は心のうちを語る。
『怒りだけでは片づけられない、苦い思いを味わっている』
教え子にとって辛く、罪深いことである。
わずか2年間ではあるが藤沢周平は故郷の中学で教鞭をとった。
最初の担任として受け持たれた教え子のOさんが思い出を語る。
Oさんは学校で一時イジメに遭って、4日ほど登校しなくなった。
藤沢先生(当時は小菅先生)が家にやってきて「・・子、どうしてる、先生は待ってるぞ、出ておいでよ」
おかげて家に閉じこもっていた自分が学校に出ることができた。「先生は待ってる、出ておいでよ」の言葉は今も心に残っているという。
「数々の教師に出会ったが、これほど心の優しさ、人情深さのこもった先生はいなかった。先生への思慕の念は強いものがあります。藤沢周平先生の歴史の一ページに私たち教え子が加えられていることは本当に誇りに思います」
藤沢周平は人気作家となった後も故郷の教え子の進み行きに想いを馳せていた。

優れたベテラン教師であったも審議官は当時の子供たちの心にどのような言葉を語りかけたか。学校を退官したのち、教え子たちの遥かなる思いを折にふれて想起することがあっただろうか。