北京五輪期間中、里帰りを強いられる季節労働者たち

五輪開催にあわせて、北京にきらめくような新しい高層ビルが次々と姿を見せた。これらの建設に従事した人たちの大半は地方からの出稼ぎ労働者である。2年前に田舎をあとに上京し、建設現場で2年間働いた溶接工。月収約3万円だった。
高層ビルが出来上がり、市街もファッショナブルに整備されてオリンピックの幕開けとなった。、中国の指導者は超近代都市北京のイメージを世界に誇示したい。新生北京にヘルメットをかぶり日焼けした出稼ぎ労働者と工事現場のテントは馴染まない。溶接工たちは全て立ち退きを強いられ、里帰りを命じられた。
いわば日雇い派遣に似た季節労働者ならぬ“五輪労働者”である。彼らは自分の故郷での生活を切望しているものの、『仕事がない』とやむなく再び出稼ぎのため都会に向かうだろう。
21世紀は「アジアの世紀」といわれるが、アジアの視点と基軸はどこに置かれているのだろう。ボクの信頼するA紙のF主筆が米国外交専門誌Foreign Affairs最新号に寄稿した。タイトルは“Keeping Up With Asia”(アメリカよアジアに追いつけ)。F氏はその中で≪米次期政権に望む≫と題し次のように述べている。
『次期政権はAPECの場で、グローバリゼーションによって引き起こされる共通の問題、なかでも貧困や格差の拡大する政策を打ち立てることを検討するのが望ましい。・・・アジアが求めているのは、開かれ、国際主義的な米国である。アジアと米国のパートナーシップを形成せずして、21世紀は「アジアの世紀」は潜在的な状態にとどまり、おそらくは実現しないだろう。米国は、歴史、貿易、そして理念において、アジアとわかちがたく結ばれている』
冷戦の終結により産声を上げ、爆走した米国発のグローバリゼーションが完全に暗礁に乗り上げ、世界に解消困難な断層と亀裂を招いている。もはやグローバリゼーションの逆流が世界の潮流となっている現在、“アジアの世紀”が意味するアジアとは何か。
北京五輪も間もなくフィナーレを迎える。大国中国に顕在する光と影は余りにも鮮烈だ。そうしたなか、ともすると米中間の狭間で身動きが取れない日本丸に思わず身のすくむ思いがする今日この頃だ。