競技を終えたあとの言葉に耳を澄ませる

ボクがオリンピックを初めて知ったのは1952年ヘルシンキ五輪。日本が第二次大戦後はじめて参加したオリンピックだ。参加国は60数カ国に過ぎず、ラジオでの実況放送が主な時代だった。チェコの長距離ランナー、ザトペックの活躍が今なお鮮やかに蘇る。
あのとき以来、現在開催中の北京五輪ほどTVを通じて競技をじっくり観た五輪はない。現地と日本との時差が1時間、さらにEveryday's Sundayのため時間が有り余っているためでもあろう。
熾烈な競技もそうだが、ボクが目を注ぎ、耳を傾けているのは、競技が終わった後の選手たちの表情であり、コメントである。それには勝者も敗者もない。
八冠を制したMichael Phelpsは優しく微笑み、言葉少なに語った。
『不可能なことはない。多くの人は無理だと言ったが、それが夢を引き出してくれた。ボクは学び、力づけてくれた』
ラソン女子世界記録保持者Paula Radcliffe(ラドクリフ)は途中何度も立ち止まりながら、ゴールにたどり着いた。棄権したとみたのはボクの軽率な誤りだ。34歳のラドクリフは左足の激痛に耐えながら完走した。『途中棄権すれば競技から自らが放り出される。その方が恐ろしい。私を北京に送り出してくれた余りにも多くの人の苦労に報いなければならない』
ラドクリフは脚は無くても、心で走りぬいたと言えよう。
死闘を終えた日本人選手のストイックな姿も胸を打つ。