知られざる「長距離ランナーの孤独」

朝の北京、気温23度。女子マラソンがスタートした。途中で雨が降る。天壇公園のなかを、広大な北京大学と精華大学の構内を選手達が鋭角的に駆け抜けてゆく。
期待されていた日本選手の1人が苦痛で顔をゆがめ、脱落してゆく。サングラスの下の苦悶と悲しみの表情が痛ましい。痛み止めを飲んでスタートしたようだ。ドクター・ストップがかかり、25k過ぎでリタイアーした。30kまで二位集団を構成していたもう一人の五輪初参加の日本人選手も、終盤じりじりと後退して13位。健闘した方だろう。世界記録保持者の英国ラドクリフ選手も39k付近でアテネ五輪についで棄権してしまった。
20k過ぎから、ルーマニアの選手が飛び出しそのまま独走、テープを切るという。最近例を見ないスリリングのない、記録も平凡なレースで終わった。
が、ボクはいずれの選手にも『長距離ランナーの孤独』を感じる。独走した勝者も途中棄権した選手も孤独である。
1962年制作の英映画『長距離ランナーの孤独』(The Lonliness of the Long Distance Runner)はAlan Sillitoe原作のアナーキーな映画だ。無理やりクロスカントリーを走らされた青年を題材にしたもので世界が注目するメジャーなマラソン大会を描いたものではないが、タイトルがいい。
昨日の電子版The Washington PostのNews Alartが面白い。
What can happen in a hundredth of a second? The beat of hummingbird's wing.... It was the difference between one man's hand touch in underwater wall, and anoter man's
(100分の1秒の違いはどの程度ものか。ハチドリの羽の震間・・
否、五輪プールの水面下のゴール板の一着、二着のタッチの差だった)100mバタフライ勝者、M Phelpsの七冠を伝える速報だ。