8/15−また巡り来るホットな日に想うこと

今日8月15日「終戦記念日」を敗戦記念日と呼ぶ人もいる。敗戦と呼称するとき、そこには勝利を目指した者の悔しさが宿るのではなかろうか。当時の日本軍の幹部や軍人さんならいざ知らず、一般庶民は63年前のこの夏日をどのように受け止めたか。米軍B29の無差別空爆が本格化した頃から、ボクの家族も防空壕暮らしが始まった。父は戦地に赴いていた。そして、8月15日、母とまだ小学校(国民学校)入学前のボクは、防空壕を出て家の縁側に立ち、窓を開けて外を眺めた。『戦争が終わったようだね』
『お父さんはいつ帰ってくるの』
いま微かに覚えている、母とボクとの会話である。
軍国婦人として教育された母も8月15日の戦争の終結に安堵した。敗戦の悔しさなどは感じられない。早くから敗けを予想し、恐怖と厭戦感にさいなまれていたのが一般の家族だっただろう。若き頃は中国へ、戦争末期には内地防衛に駆り出されていた父は9月になり無事復員した。が、父は戦場の想い出などほとんど語らなかった。痛苦に満ちた日々だったはずだ。最晩年は『戦争だけはやっちゃいかん』が口癖だった。
北京五輪真っ只中のいま、中国当局の報道管制はいささか異常だ。国内メディアも体制翼賛以外許されないありさまだ。日本の対戦相手国が欧米諸国だった場合、中国の観衆の圧倒的多数が欧米諸国を応援する。なぜか。
日本における8/15「終戦記念日」の今日は中国にとっては「日本投降の記念日」にあたる。奇しくも今夜女子サッカーで日中戦がある。河北省のサッカー会場は警戒を強化するという。いまは戦後だが、激しいスポーツ競技を目の当たりにすると中国の人々には忌まわしい往時が蘇るのではあるまいが、なぜか、中国の大人や若者の愛国心嫌日感を呼び覚ますことが多い。五輪が嫌日感や嫌中感を増幅するようでは話しにならない。首を傾げる動きや出来事が少なくない中国だが、今はまさにdeveloping countryだ。No more anti-China and anti-Japanaの時代ではないか。

そうだったのか! 中国

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子どもたちの8月15日 (岩波新書 新赤版 (956))

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