平和“記念”ではなく、平和と核廃絶を“祈念”する日ではないのか

広島に原爆が投下されて63年目の日である。
広島市での式典名は、何故か、相も変わらず「平和記念式典」だ。犠牲者への追悼と懺悔を基調とした平坦なセレモニーの感が否めない。
『二度と過ちは繰り返しません』の主語は不明。日本語特有の表現として取り立てて問題視する必要はないかもしれないが、「平和記念式典」はいただけない。記念をせめて“祈念”に変えるべきだろう。
米国の元政府高官から次々と反核核廃絶の声が上がっている。
ヘンリー・キッシンジャージョージ・シュルツ両元国務長官ウィリアム・ペリー元国防長官、サム・ナン元上院軍事委員長の四人。いずれもかつて米国の核世界戦略を立案・推進してきた中心人物である。
彼らは『核兵器のない世界という目標を諸国家間の実際的な事業にしていくこと』を呼びかける≪核兵器のない世界に向けて≫と題した共同論文を米主要経済紙に寄稿した。
この呼びかけに旧ソ連ゴルバチョフ元大統領が「核兵器はもはや安全保障を達成する手段でなくなったことが、ますます明白になっている」と支持を寄せている。
この米国元高官は変節者ではない。退官後、ケネディ、ジョンソン大統領のもと、ベトナム戦争を推進したマクナマラ元国防長官。世論の厳しい批判を浴びながら、“The Fog of War”のなかで率直に当時の悩みと教訓を告白している。米政府高官の退官後の言葉は重い。現役当時の国際情勢と対比しつつ今の世界を鋭く見据えているからだ。
今朝、広島での秋葉市長は「平和宣言」のなかで核兵器のない世界の実現を求め『人類の生存を最優先する多数派の声に耳を傾ける米国新大統領の誕生を期待する』と訴えた。総理大臣は「核兵器の削減」に触れた。が、何故かインパクトに欠ける。会場に、国連の主要メンバーや米国の現役高官の顔が見られない。
今日の宣言、そして三日後の8/9日の宣言や声明がローカルなものとして軽視されない内容であってほしい。現存する「核固執勢力」を包囲し追い詰める力となるだろうか。
それにしても、こんにちの日本政府は“被爆国の政府”と呼ぶには弱腰すぎる。