“子供が感じない、無感動だ”と嘆く前に

今の子供たちは自分の感情を封印しているのではないかと考えざるを得ない場面に出くわすことが少なくない。
何を訊いても「別に」とか「分からない」とか、ぶっきらぼうな答えを返してくる子供や若者が増えている。日本の子供は語彙力や表現力、感性に欠けていると一般論で片付けられないものがある。どうも大人の方に原因と問題がありそうだ。
そんな折り、The Sense of Wonder『センス・オブ・ワンダー』(上遠恵子訳:新潮社)を再読した。名著Silent Spring『沈黙の春』のRachel L. Carson(レイチェル・カーソン)が1956年に著したエッセイである。
著者が本書の中で語っている。
『もしもわたしたちが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に語りかける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、生涯きえることのない「センス・オブ・ワンダー = 神秘さや不思議さに目を見はる感性」を授けてほしいとたのむでしょう。
この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、わたしたちが自然という源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤になるのです』
『妖精の力にたよらないで、生まれつきそなわっている子どもたちの「センス・オブ・ワンダー」をいつも新鮮にたもちつづけるためには、わたしたちが住んでいる世界のよろこび、感激、神秘などを子どもといっしょに再発見し、感動を分かち合ってくれる大人が、少なくともひとり、そばにいる必要があります』
そしてカーソンは『わたしは、子どもにとっても、どのようにして子どもを教育すべきか頭を悩ませている親にとっても、「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています』『子どもたちがであう事実のひとつひとつが、やがて知識や知恵を生み出す種子だとしたら、さまざまな情緒やゆたかな感受性は、この種子をはぐくむ肥沃な土壌です。幼い子ども時代は、この土壌を耕すときです』
美しいものを美しいと感じる感覚、新しいものや未知のものにふれたときの感激、こうしたThe Sense of Wonderを今の大人たちはどれほど保持しているだろうか。本書はボクたち大人を覚醒させ、警鐘を鳴らすものがある。
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センス・オブ・ワンダー

センス・オブ・ワンダー