色褪せる言葉“共生”、余りにも刺々しい日常の風景

1990年代に登場し、90年代半ばに最も流行した言葉に「共生」がある。当時ボクは、こんにち(20世紀末)及び将来(21世紀)における人間の望ましい生き方を考える上でのキー・ワードの1つとして、この共生の意味の正しい理解を若者たちに呼びかけた。
国際関係においても「共生」の重要性が論じられた。1999年4月A紙のF編集委員(当時)は≪21世紀私たちは≫と題して次のように“日米中共生の道をめざせ”と主張している。
「日米中三国が共通の利益を見いだし、そこを足場に信頼を深め、アジア太平洋で三国が共生していく方法を見いだすことが大切です」
こんにちでは、日米中三国に印度を加えるべきだろう。さらに台頭するアフリカ、中南米など新興国をも含めた相互の“共生”は、例えば、地球温暖化・排出ガス削減問題1つをとっても、先のG8で見るとおり、至難だと思う。
とはいえ、今こそあらためて、共生は一層追求すべきテーマではないだろうか。
あるべき人間関係を考察するうえで、「共生」の正しい意味をいま一度確認することも無駄ではなかろう。
共生は≪みんな仲良し主義≫とは異なる。
『「みんな仲良し」という言葉に象徴される共同体的な考え方が、日本の学校、地域、家庭には根強い。共同体内での協調性こそが優先され、外の人間は一種の風景に過ぎない。こうした文化のなかで育つと、常に仲間と同質であることを求められ、自分自身をアピールする技術を持てない。仲間以外に対しては鈍感に冷酷に、時には残酷に振舞うこともある。
「みんな仲良く」の考え方は、「世の中にはどんな人間がいるかわからない」という事実を覆い隠してしまう。仲良く出来ない人、理解し難い人もいることを認めたうえで、互いが権利を侵し合わずに1つの社会を作り上げるのだという「共生」の考えこそ、「共同性」にとって代わるべきものだ。・・』(1999.1.21M紙:論点より)
このような「共生」の考えに立った人間関係をボクはよく≪中間距離≫の関係だと言った記憶がある。
このごろなぜか「共生」の言葉を使わなくなった。言葉が色褪せたのか、共同体からはみ出した人間が外の人間を一種の風景に過ぎないものとして傷つけることが日常茶飯事になっている。この冷酷さ刺々しさは、前世紀末にボクたちが希求した世界と逆行している。