ウルトラ古典長編の現代語訳(労作)の読破に挑む

最近、多少の本読みならば「源氏物語」は絶対読むべしだと誰かに言われた。高校時代、古文の時間に第一帖『桐壺』の冒頭の部分を覚えさせせられた。暗唱テストもあったので、“いずれの御時にか、女御・更衣、あまたさぶらひ給ひけるなかに、いと、やむごとな際にはあらぬが、すぐれて時めき給ふ、ありけり。・・・”は今なお口をついて出るが、後はろくに読んだことはない。
このあいだ、日本文学専門の友人に訊いてみた。
「現代語訳として一番推薦できるのは誰の訳文?」
たちどころに「与謝野晶子のものでしょう」との答え。いわゆる与謝野源氏だ。早速古書(上・中・下巻)を手に入れて、原文と照らし合わせながら読み出しつつある。
驚くほど丁寧で分かりやすい。これこそ良い意味での意訳というべきだろう。与謝野晶子は明治の末年、夫人として30歳のころこの大事業に着手したといわれる。主婦の身であり、多くの子女の母親でもあるという責任を負いながら、54帖という大部の古典翻訳に精進するとは、悲壮な決意があったに違いない。一通り全巻を通読するだけでも容易ならざる仕事だ。
この与謝野源氏に森鴎外が序文を寄せている。
『わたしは源氏物語を読む度に、いつも或る抵抗に打ち勝った上でなくては、詞(ことば)から意に達することが出来ないように感じます。
・・・源氏物語の文章は、詞の新古は別としても、兎に角読み易い文章ではないらしう思われます』
源氏物語は長すぎて、なかなか人には読まれない。源氏物語悪文説というものがあるらしいが、上の森鴎外の歯切れの悪い序文の影響もあるようだ。ともあれ、ボクなどにとっては源氏物語の評価云々は関係ない。
飛ばし読みしないで、何時までかかるか分からないが、遅々としながらも原文と対照しながら与謝野源氏を読了する。大変な難事だが、悲壮な決意で成し遂げなければならぬ。

全訳源氏物語 (中巻) (角川文庫)

全訳源氏物語 (中巻) (角川文庫)