続ーチョビ髭

『独裁者」製作の構想は、関係者の間では厳しい箝口令が敷かれたものの、アッという間に世間の話題となった。まだ製作にも入っていない一本の映画に対して、異常な妨害キャンペーンが始まる。チャップリンが風邪をひいて撮影所に姿を現さなかったことを根拠に、多くのマスコミが「『独裁者』の製作を断念」と報じるありさまだ。チャップリンが声明を発表ー「私は、この映画を作るというもとの決心から決して揺らいだことはない。・・・私は、脅迫、検閲その他について心配していない。私は独裁者たちの人生についての喜劇映画を作る。それが、世界中にとってとても健康的な笑いを生み出すだろうことを望んでいる」
39年9月1日、独軍ポーランドに侵攻、第二次世界大戦が開戦したが、これを契機に『独裁者』製作への追い風が吹くどころか、むしろ製作への圧力が一層強まる結果となった。漏れ聞こえてくる『独裁者』のテーマが、反ナチスにとどまらず戦争そのものの非人間性に対してのチャップリンのメッセージとなることが明らかだったからだ。それゆえに、開戦した今となっては戦争に邁進する各国政府が支持を表明することなどあり得なかった。

39年9月9日、ついに『独裁者』の撮影が始まった。偶然4日違いで生まれ、偶然同じ年に同じ髭をはやした二人だったが、こうして片方が戦争を始めた8日後に、受けて立つかのように撮影を開始したのは、もはや歴史の必然と呼ぶしかなかろう。
チャップリンヒトラー>と題された一文がある-----「ナチスに対して新しい爆撃が行われている。そして、それはすべての攻撃のなかで最高の破壊力を約束する。鉄砲玉や爆弾はかなりの割合で的から外れる。経済封鎖もいつも成功するとは限らない。しかし、名人によって握られた『茶化す』という尖ったナイフは、敵を死に至らしめるのだ」
この映画の共演者ジャック・オーキーが「ヒトラーに針の先ほどのユーモアでもあれば、この作品を見ると戦争を止めて山に隠遁するだろう」とコメントしている。
因みに、ヒムラーアウシュヴィッツ強制収容所の建設命令を出したのは、チャップリンが『独裁者』の構想メモに強制収容所を記した1年半後のことだった。
国を挙げて『独裁者』を大絶賛したのはイギリス。「ドイツよ、これを見ろ!」と『独裁者』こそナチスへの強力な武器だと待ち望んでいた。「『独裁者』は、大胆さゆえに驚かされるのではない。笑いこそヒトラーがもっとも怖れる武器であり、これは一個師団以上の力なのだ」
チャップリンによる『独裁者』ラストの演説を境に、ヒトラーの演説が激減する。まるで、喜劇王が希代の演説家から、その武器を奪ったかのように。もし、ヒトラーが見たら、「なんとしても感想を聞きたいね」とチャップリンは言っている。総統が『独裁者』を見て、気の利いた感想を残せるほどのユーモアの持ち主だったならば、歴史は変わっていただろうか?
新たな戦前が危惧されるこんにちにあって、『独裁者』の撮影を終え編集作業中の76年前、1940年5月チャップリンの発した次の談話が耳に聞こえてくるー「・・今以上に、世界が笑いを必要としている時はありません。このような時代においては。笑いは、狂気に対しての安全弁となるのです」