5年--怖い諦念と想像力の鈍化

5年前の3/11午後、新丸ビル2階のラーメン屋で震度5強。長い大揺れに怯え、テーブルの下に身を屈める。店から逃げ出す女子店員。思わず呟いたー「大変なことになったぞ」ー 通路のDigital Signageの映像はバーチャル・リアリテイか? CatastropheとChaosに呆然とするだけだ。
東京駅からのtransportsは機能不全。地下鉄通路は無数の人たちが無言のまま座り込んでいる。95/03/20の地下鉄サリン事件を彷彿させる。
ボクは職場の同僚とビル5階のソファの上で帰宅難民。幸運に感謝するばかりだった。
翌12日付A紙一面トップは「東日本大震災」「M8.8世界最大級 大津波」「家族は 仲間は」の衝撃の見出し。
烈震と巨大津波にNuclear Catastropheが追い打ちをかける。15日The NYTからNews Alertが届いたーHundreds wash ashore as Japan grapples with triple disaster(三重の災禍を克服せんとする日本に容赦なく大波が打ち寄せる) The Washington Post紙の特派員が"The effects of the quake, tsunami and nuclear crisis are both visceral and hard to see"(大地震津波、そして核汚染の危機。非情で正視できない)と悲痛なコメントを寄せた。
この未曾有の惨禍を『天罰』だと恥ずべき言葉を発した都知事がいた。「頑張れニッポン。日本の力を信じる」のかけ声が空疎に響いた。2週間後のA紙のHeadlineが「集団疎開ごめんね」に変わる。まるで大戦末期だ。
東日本大震災から5年 変わる街 変わらぬ祈り》ー今日のA紙夕刊の見出しである。メデイアも適語が浮かばないようだ。生々しい被災体験はおろか被災地・罹災者のリアルな実相さえ不知のボクにはとやかく語る資格などなかろう。手元にある言葉を拾ってみよう。
最近頻繁に「向き合う」とか「寄り添う」という表現を耳にする。軽薄な感じの常套語だ。

例えば被災地での"支援"などと言っても並大抵のことではない。現地で産業廃棄物を扱う人が「支援とは手を添えることであって与えることではない」と語る。「支」も「援」も手に縁のある漢字である。英語で言えばfeedではなくshareなのだ--.......。<連帯>-sympathy(シンパシー)は同情と訳される。共感という訳語もある。他者の思いを自らの思いに重ねようとすること。........英国の詩人C・K・ウイリアムズがスピーチのなかで『倫理とは想像力』だと述べた・・・・(池澤夏樹「春を恨んだりしない」より)
「一人の人間によって語られるできごとはその人の運命ですが、大勢の人によって語られることはすでに歴史です。二つの真実ー個人の真実と全体の真実を両立させるのは最も難しいことです。今日の人間は時代のはざまにいるのです」「チェルノブイリは、私たちをひとつの時代から別の時代へと移してしまったのです。私たちの前にあるのは誰にとっても新しい現実です。・・・・ベラルーシの歴史は苦悩の歴史です。苦悩は私たちの避難場所です」「私たちは自分たちのまわりの自然界に近づこうとはしませんでした。空や空気があるように、だれかが永遠に私たちに与えてくれ、自然は人に左右されず、いつでもあるかのようだった」「我々は自然の恵みを待っていられない。自然からそれを奪い取るのが我々の課題だ」と。「チェルノブイリにも勝つんだと。人の手を離れて暴走する原子炉を鎮めようとする英雄的な戦いの記事を我々はむさぼり読んでいた」----(S・アレクシェービッチ『チエルノブイリの祈り - 未来の物語』より---
福島原発 無謀の果て / 増える汚染水》---某紙Headline.
"Fukushima Keeps Fighting Radioactive Tide 5 Years After Disaster" -- 本日夕のNYTimes comのToday's Headlineである。諦念と想像力の鈍化が怖ろしい。