--Terrorists(テロ)の目的はTerror(恐怖)にある--

前の職場の女子職員が結婚し来月新婚旅行に出かける。「ヨーロッパは怖いからNZにした」とのこと。

11/13パリ同時テロの惨事は世界に衝撃を与えた。穏健イスラム教徒の中軸国であるマレーシアへの修学旅行を急遽取りやめた高校もあるほどだ。負の連鎖が不安、参加生徒の安全性を保障できないという。過剰反応ではないだろうか? 恐怖を抱き、自由よりも安全を欲してしまえば、それは相手の思うツボだ。

テロに対し、憎しみと怒りをもって空爆などという報復を贈り物にするとすれば、すでに負けたことになろう。War on Terrorに勝利はない。暴力の無限連鎖が続くだけだ。テロの語源は、フランス革命期の「恐怖政治(Terreur)」にあるとされる。テロは「恐怖の外圧」を人に与えることで、その狙いを一元的に収束させていく。

精神分析家の指摘が興味を惹くー「ISは強度のアイデンティティ不安に陥っている若者に、自我のヒビを埋め合わせるトータルな理想を提供している。<ろくでなし>の自分が英雄になれて、物資的な報酬や女性、権力も得られる。<殉教者>になれば、不滅と永遠の享楽が待っている。そうした<理想>がインターネットを通して流布され、安易に手が届くように見えるのだ」ー

救われるのは、理解できない死の欲動に面して、生、愛、自由、人間性、連帯といった言葉を直ちに発した人が大勢存在することだ。テロを生み出した様々な背景と状況を踏まえ、報復と暴力の連鎖を拒むこと。そしてとりわけ、生きる歓びを分かち合い、多様性が共生する寛容な生き方を続けて、若い世代にそれを伝えていくことだ。

いま求めれるのは、「仲介の役割」を担う者の存在とその力だろう。