『時間』(続)--戦慄すべき<記憶の危機>

著者堀田善衛は主人公の中国人知識人・陳英諦をして迫り来る日軍の対中侵略・大虐殺を予感し語らせている。「都市は欧風化し、田舎はいつまでも太古のままという、この変則的な中国文明は、いま非常なshake up,揺り返し、混沌の時期を迎えたわけだ。・・・血が引くように、希望はわれわれの背後に去り、敵がわれわれの城市のなかに入って来ようとしている。誰が見ても、いまわれわれは、戦慄すべき状態にあると云えよう」

陳英諦は南京に入城した日軍、<皇軍>将校桐野大尉に自邸を明け渡し、奴僕(ボーイ)業として仕えている。1937年9月18日の記。「9・18 記念日。・・大尉が1931年9月18日、柳条溝での鉄道爆破事件の話すのを聞く。驚くべきことに、彼はあの事件が日軍が自ら手を下して爆破したものであることを知らない。中国軍がやったのだ、と思い込んでいる。日本人以外の、全世界の人々が知っていることを彼は知らない。してみれば、南京暴行事件をも、一般の日本人は知らないのかもしれない。闘わぬ限り、われわれは『事実』すらも守れず、それを歴史家に告げることもできなくなるのだ」
「ニッポンは中国を侵略してない」「南京大虐殺は"幻”であり、実際には存在しなかった」などと反駁する日本の似非知識人?がいる。死者の数も少なめにして誤魔化す。これに対し陳英諦は語る「何百人という人が死んでいる---しかし何という無意味な言葉だろう。敵は観念を消してしまうかもしれない。この事実を、黒い眼差しで見てはならない。また、これほどの人間の死を必要とし不可避的な手段となしうべき目的が存在すると考えてはならぬ。死んだのは、そしてこれからまだまだ死ぬのは、何万人ではない、一人ひとりが死んだのだ。一人ひとりの死が、何万人にのぼったのだ。何万人と一人ひとり。この二つの数え方のあいだには、戦争と平和ほどの差異が、新聞記事と文学ほどの差がある.........」

日本兵はなぜかくも粗暴なのか? 陳英諦は軍夫生活4ヶ月の経験を基に分析している--
「その所以は、彼らが兵としての正当な名誉や持ち前の勇気を正当に評価されず、四六時中組織的に侮辱されているところから来るように思われる。しかし、これは単に日本軍だけのことではない、将校が持つ巧緻を極めた兵卒侮辱術は、軍事技術のなかでも最も基本的なものである」
日記の日付を陳英諦は<✖️月✖️日>としたうえで「....わかっているのだが、何かをあからさまに認識するのは辛いのだ。いまでは、南京暴虐事件と称される暴虐をはたらいた敵を憎む気力もないほどに、絶望している」と記した二日後「一面、他国の軍事支配と暗い政治気候の下に生きることが、いいかに容易に、かつ自然に人を分裂させ堕落させるかということも知られる」と付言している。

堀田善衛は時間の不思議について綴っている。時間とは空間とともに世界を成立させている基本形式であり、過去ー現在ー未来の不可逆な方向を持つとされている。が、堀田は他界する四年前、このような時間の絶対法則に異を唱えた。<古代ギリシャでは、過去と現在が前方にあるものであり、従って見ることのできるものであり、見ることのできない未来は、背後にあるものである>と考えられていたというホメロスの『オデイッセイ』にヒントを得ている。「言えば、未来は背後(過去)にあるのだから、歌詞的過去と現在の実相を見抜いてこそ、不可視の未来のイメージを掴むことができるというこわけだ。あったものがなかったと改ざんされた時間では、背中からおずおずと未来に入っていっても、何も見えないはずである。戦慄せざるをえない」ー辺見庸の解説を参考ー