「負ける建築」が勝った



いろいろスッタモンダした新国立競技場の設計デザインが決まったようだ。「木と緑のスタジアム」をコンセプトにした隈健吾氏のチームのプランが採用された。「神宮外苑で緑のネットワークの要を作りたい」「時代を反映した新しい象徴になるべきだ」と隈氏。

著書『負ける建築』でその名を知られる建築家だ。狙いは、勝ち誇るように周囲を支配する建築から周囲と融合する建築へと転換を図ろうとするとろにある。

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隈健吾氏は一昨年春新規開場した歌舞伎座の設計者である。<脱コンクリート>を旨とする同氏は歌舞伎座入り口の屋根の庇の下に垂木を使った。檜舞台と花道には丹沢材の百年檜を取り入れバイオ乾燥技術を施している。


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隈氏は9/11の出来事に少なからず触発されたようだ。著書『負ける建築』のなかで述べているー

「世界で最も大きな塔が一瞬のうちに小さな粒子へと粉砕されてしまった後の世界に我々は生きている。そんな出来事の後でも、まだ物質に何かを託そうという気持ちが、この本をまとめる動機となった。物資を頼りに、大きさという困難に立ち向かう途を、まだ放棄したくはなかった」とあとがきを記している。書中に見られる《コンクリートの時間》の中で「20世紀の建築とは『現場打ちコンクリート造の建築』であったのではないか」「・・それこそが、最も自由で普遍的な建築の形式であって、自由と普遍性を第一の目的としたこの世紀には、この形式こそが最も似つかわしかったのだと思える。(中略)この時代は自由の獲得にも熱心であったが、同時にまた、自由をひとつの形として固定化することにかけても極めて熱心だった」「その欲求に対して、コンクリートほど見事に応えてくれる材料はほかにはなかった。(中略)「しかし、今や、そのような固定化こそ、人々の嫌悪の対象となりつつある」と述べ、その上で『木造の時間』と題して「木造にはコンクリートの打設の日のような《特別な日》というものはない。建物が完成した後ですら、建物は十分に弱く、人々は建物に手を加え続け、改修し続けた。(中略)《特別な日》というのは幻想にしか過ぎず、時間とは永遠にだらだらと続くものだいうのが木造の時間の本質である。木造とは明るい諦めである」と説く。

氏の建築論の真骨頂の1つは巨大建造物の"enclosure"(囲い込まれたもの)に対する警鐘・批判であろう。「性急さを本質とする近代の『民主主義的』権力はいよいよ巨大な公共建築物へ、すなわち建築をもって都市の代用品とする方向へ傾斜せざるを得なかった。(中略)しかし、この手法もさまざまな欠陥を有していた。ひとつの欠陥は、そのようにして建設される巨大な建築物の閉鎖性である。閉鎖性はこの種の建物の必然でもあった・・・・この種の都市代用型の公共建築はしばしばenclosure(囲い込まれたもの)と呼ばれる。(中略)encloureの外部の取り残された都市空間はいよいよ魅力を喪失し、そしてさらなる巨大なenclosureが要請されるという悪循環を招く・・・」
今度の隈健吾氏の新スタジアム建設設計のコンセプトだが、巨大建築のenclosureと閉鎖性に対する反逆であって欲しいものだ。