最近流行りの言葉≪日本を取り巻く安全保障環境・・≫の欺瞞性に要注意

8/6広島市長はnuclear weapon(=power)を「絶対悪」と断じた。

9日、長崎市長は「平和宣言」のなかで『日本政府に、被爆国としての原点に返ることを求める。今年4月、ジュネーブで開催された核不拡散条約(NPT)再検討会議準備委員会で提出された<核兵器の非人道性を訴える共同声明>に・・・日本政府は署名せず、世界の期待を裏切った。人類はいかなる状況においても核兵器を使うべきではない、という文言が受け入れないとすれば、核兵器の使用を状況によって認めるという姿勢を日本政府は示したことになる。これは二度と、世界の誰にも被曝の経験をさせないという、被爆国としての原点に反する』と政府を糾弾した。

最近特に目立つPM Abe政権の欺瞞性、誤魔化し、狡猾な言葉の使い分けをみれば、nuclear weaponは彼らにとって「必要悪」なのだろう。次ぎの“共同声明”不署名を巡る天野軍縮大使の4/25付「演説・弁明」を読んで呆れる。----

【日本は共同声明の内容について、慎重かつ真摯に検討を行いました。原子爆弾の惨禍を知る唯一の国として、日本は核兵器使用がもたらす人道的影響についての懸念を共有しています。核兵器使用がもたらす短期的被害、さらには耐え難い社会経済的、世代を超えた損失について、共同声明が言及しておりました諸点を含めまして、日本は核兵器の人道的影響に関する訴えに賛同いたします。しかし他方、日本を取り巻く安全保障環境を念頭に置きながら、私たちは声明の性格とそれとの整合性を慎重かつ真摯に検討し、声明の修正をめぐって協議を行いました。残念ながら、相互に納得できる結果は生み出せず、日本は声明への賛同を見送ることといたしました。しかし、日本は将来、同じテーマの声明に対し賛同する可能性を真剣に検討いたしたいと考えております。日本は、他のいかなる国よりも、核兵器使用の非人道的結果を理解しております。私たちは今後も、世界に対し、また、将来の世代に対し、核兵器使用のもたらす惨禍の実相を伝えていくという重大な責務を果たしてゆく所存です】

“日本を取り巻く安全保障環境”とは?その意味の核心を曖昧にする。最後の文言<・・・・惨禍の実相を伝えていくという重大な責務を果たす・・・>も9日長崎での「平和祈念式典」におけるPM Abeの挨拶の結びと同様、白々しい。
「・・・・核兵器の惨禍が再現されることのないよう、非核三原則を堅持しつつ、核兵器廃絶に、また、世界恒久平和の実現に、力を惜しまぬことお誓いする・・」
“惨禍の実相を伝え”ているのは他ならぬ被爆者ではないか。


Peter Kuznickアメリカン大学教授と共に初めて来日し、ヒロシマナガサキ〜オキナワを訪れ、現地のヒバクシャや被災者と語り合うOliver Stone監督は「(戦後)ドイツは反省と謝罪のもとで平和を守る国に変わったが、日本は米国の従属国のままで、経済大国だとしても道徳的な大国になっていない」とズバリ指摘。若い世代の者たちに、核爆弾の残虐さに関し“moral imagination”(道徳的想像力)を高める必要性を訴えた。

広島で5人の被爆者と懇談したO.Stone氏は「大きな苦しみを受け、しかしその記憶を伝える責務を持ち、愛にあふれ、世界を本当に良くしたいという理想に溢れた方々だ」と語る。

O. Stone監督とP. Kuznick教授が共同執筆したドキュメンタリー“The Untold History of the United Stats”--邦題『もうひとつのアメリカ史』が届いた。そのなかで、P.Kuznick氏は米国の戦後の軍事外交政策を正当化する<ウソ>を暴いた。ヒロシマナガサキへの原爆投下がなくても日本の降伏は明白だった。原爆投下は台頭しつつあるソ連に対する米国による“警告”だったと云う。


米国の学生を連れ何度も広島を訪れているP. Kuznick氏曰く「道徳的な象徴と結晶だ。怒りや恨みを高く昇華させて、核兵器を二度と使ってはいけないと、良心のともしびを掲げて人類全体を導いている人たちだ」

6日夜、ヒロシマ原爆ドーム前を流れる元安川の灯篭流しに加わったO.Stone監督。“Memory is the slender thread of our civilization. Let us never forget Hiroshima”【記憶は文明を繋ぐ細い糸だ。決してヒロシマを忘れまい】--ピースメッセージを書き灯篭を流していた。