五輪にみる“成熟国家”

London 2012の開催を多くの英国人は心配していたという。移住民とのトラブル、テロの不安、交通網の混乱など不安材料を現地メディアは指摘していた。が、そのメディアさえ、大会期間中、大衆の歓喜のムードを伝えるのに終始した。ロンドンが異例の雰囲気に包まれた。まるで街全体が祭日を迎えたようだった。

元首相Tony BlairがかつてIOC委員会で語ったメモワールがある--

“London's bid had to be about...what we could do to advance the ethos, the spirit, the inner emotions of the Olympic movement, rather than being simply about London, infrastructure and so on.”
オリンピック精神とは18世紀への懐旧ではない。商業主義と国旗ばかりを盛んに振るナショナリズムに代わる、大きな前進がみられた。
例えば1924年パリ五輪、参加選手のほとんどが白人男性だった。今回のロンドン五輪はどうか。参加204ヶ国、全ての民族が集い、選手の半数は女子だった。この2週間を振り返れば、個人競技団体競技とも栄光と失望の物語があった。が、誰にとってもオリンピックへの参加こそ大変な偉業である。

人口6000万の英国は、ラグビークリケット、サッカーなどプロスポーツの発祥の地である。夏にはWimbledonそしてBritish Openを主催する。それだけに、英国人は豊かなスポーツ文化を発展させ、スポーツ観戦の楽しみ方をわきまえていた。


メインスタディアムの観衆はトラック競技のスタートのまえ息をひそめ、ピストルの音と共に大歓声をあげ、結果に対し拍手を惜しまない。静寂と興奮と心からの情感を競技者と共有する。偏狭なナショナリズムと無縁の自由の雰囲気---此の国英国人が育んできたものである。

ロンドン五輪組織委員長Sebastian Coe氏曰く“Our opening ceremony proclaimed that these would be a Game for everyone. At our closing ceremony, we can say that these were a Games by everyone”(開会式で本大会は全ての人々のためのオリンピック競技であると宣言した。そしていま閉会するにあたり本大会は全ての人々の力によるオリンピックとなったと申し上げたい)

ロンドン五輪は女性にとって特筆すべき画期的な大会となった。全ての国と地域から女子選手が参加したこと。五輪史上初めてである。
五輪期間中、ロンドンの人口が増えたかというとさほどでもない。五輪開催国に経済効果をもたらす点では期待はずれだったようだ。

でも、経済効果と国威昂揚に代わる、大切なモノを遺した。ロンドンの若者と市民はこの五輪を通じて、“biracial and multicultural society”の重要性を再認識した。明るく潤いあるLondon五輪を創出した英国。これぞまさしく、成熟国家の証だろう。さてTokyoはJapanは?