この無力感は何だろう?

あの玉置宏さんではないが「1週間のご無沙汰です」。
入学式の季節だ。卒業式でもそうだったが、式辞や祝辞の中で決まったように東日本大震災の話しが出てくる。「未曾有の惨事」「被災者・被災地」が常套語。耳にタコが出来るくらいだ。


支援ボランティアの美談が語られる。けれでも、ボランティアは予定の日々が終われば自分の生活や仕事に戻ってゆくが、被災地の人たちはそこに留まるしかない。「支援とは手を添えることであって与えることではない」と産業廃棄物を扱っている某氏。「ボランティアの人々の活動には頭がさがる。その一方で瓦礫撤去や老人・子供相手の支援とは別に、これからは大人が働く環境を作る支援を考えなくてはならない」と云う。


被災地では何もすることがない大人たちがみなパチンコ屋にたむろしていると聞く。“助ける”ということの不条理さを意識しなければなるまい。
母校の高校がある福島県など大甚災地への支援を続ける女優Aさん。その想いを“復幸”と表現した。見事な造語だ。

求められるのは<人間復興>だ。その理念は『道路や建物などいわゆるハード面の復旧はあくまで手段であって、本来の目的は人々の生活や仕事を再建すること』にある。<人間復興>に大きく立ちはだかっているのが原発事故だ。

地震津波は天災だったが、原発事故は人災であるという認識は定着したようだ。とはいえ、「それはたまたま福島第一原発が設計と運転において杜撰でいい加減で無責任だったからではない。それはそれで追及されるべきだが、本当の原因はもっとずっと深いところにある」
作家池澤氏は指摘し結論づける。

「結論を先に云えば、原子力は人間の手に負えないのだ。フクシマはそれを最悪の形で証明した。もっと早く気づいて手を引いていればこんなことにはならなかった」
明快すぎる。取り返しがつかない? 言葉が見当たらない。無力感を覚えるだけだ。