平安を祈りつつ・・・

穏やかな新年の幕開けである。朝届けられた賀状には平穏な年を祈念するgreetingsが大半だ。

が、午後我が街にもにかなりの揺れが走った。震源地は鳥島沖、深度は深いがM7.0。日本列島の広域に及ぶ“震”だ。
よく考えれば、日本列島そのものが≪つり橋の上に乗っているようなも≫だから“震”は不可避である点は覚悟しなければならないだろう。天災は忘れないうちにやって来る。とはいえ、天災だから仕方がないと諦観すべきでない。

問題は高度に発達した科学文明が、天災による被害を最小限に抑えるどころか二次被害、三次被害に増長させ、火に油を注ぐが如く、人間の存在すら危くするところにある。

『科学が人間の知恵のすべてでもあるもののように考えることは、1つの錯覚である』--戦前の地球物理学者、寺田虎彦が警鐘を鳴らしている。

2011/3/11を境に日本社会は大きく変わったというべきだ。4月5日付のA紙で池澤夏樹氏が「3/11は我々の日付になった。何かが完全に終り、全く違う日々が始まる」と述べている。近代化の道を歩んで150年近くになる日本は、いまその内実が問われている。この途方もない危機と混迷の時代からいかに脱却するか、我々の叡智とHearts and Mindsが問われていると言っても過言ではなかろう。
A紙が元旦の今日から≪再考 エネルギー≫なる特集を掲載。<震災や原発事故で何を考えたか?>の問いに対し哲学者U先生は答える

    • 「文明が変わらなければいけない。文明を基礎づける哲学も変わらなければいけない。現代の科学技術文明を基礎づけたのは17世紀の仏哲学、つまりデカルト。科学が発展すれば人間は自然を奴隷のように支配できるという彼の哲学が人類の思想となった」


「が、今度の原発事故をみて、すぐ『文明災』という言葉が浮かんだ」と。
原子力エネルギーの研究開発は「地球に太陽をつくるという思い上がりだ。それに対して太陽の恩恵をよりうまくいただく。それが新しい科学だ」と説く。


我々の生活哲学はいかに変えるべきか?
U先生は「やはり自然との共存という思想に帰るべき」だと述べ「過剰な消費生活を慎み、自然エネルギーを利用して、『もったいない』で生活する。それが日本の伝統にかなう。震災で思ったのは東北の人々が決してエゴイストではないということ。忍耐強く秩序を守る被災者に世界が驚いた。道徳精神が残っている。自然の恩恵を受け、感謝して生きる。そういう文明によって新しい日本をつくるべきだ」

<“新”から“新”へ>には“Less is More”の精神が必要だとするU先生はこんにちのleading voiceの一人だろう。