A look back(回顧)と悔恨(remorse)

先週末のNYT国際版, Int. Herald Tribuneが写真で見るこの1年(2011: THE YEAR IN PICTURES)を特集。そのHeadline、A look back(回顧)の序文冒頭の写真、3/11大震災と巨大津波に襲われ炎上する宮城県名取市の惨状に息を呑む。

前書きは“From Arab Spring to natural disasters to economic turmoil”
アラブの春」「自然災害」「経済危機」を三大ニュースとして取り上げている。
最たる「自然災害」はいうまでも無く3/11のcatastropheだ。NYTのカメラマンのレンズがとらえた情景にコトバを失う。


100枚に及ぶ回顧写真の中には米国を襲った恐怖の竜巻や大洪水、更には戦場から撤退し帰還する兵士の姿などが見られるが、コマの多くはArab Springを皮切りにOccupy Wall Street、果てはいま広がりを見せる「モスクワの冬」--いずれも無数のprotestersの姿だ。



“2011: The Year in Pictures”に原発事故は何故か掲載されていない。PM Nodaの「収束宣言」のためではない。夥しい避難民が存在しながらprotestersの姿が映し出されない。異様と云うべき。不気味なradioactive substancesの恐怖は消えない。

ようやく、政府事故調査・検証委が中間報告書をまとめた。≪東電ミス連鎖で深刻化≫≪政府の機能不全--複合災害--備え欠如批判≫そして“安全文化を軽視”と指摘する。敢えて言えば“regrets that came too late”(後悔先に立たず)だ。TEPCO幹部の決まり文句は“not foreseen”“beyond expectations”(想定外)だ。同社から真摯な悔悟(genuine regretの声は聞こえない。



TEPCOや政府筋にまともな原子力科学者はいなかったのか。某大学のY物理学教授は「科学者の責任」に言及。『科学から発した技術を見守っていくことは科学者の大切な仕事の一部だ。物理学者は原子力に無関心でいられないはずだ』
そのうえでY教授は、広い視野、正確な知識、公正な判断力を身につけた科学者を社会のオピニオン・リーダーとして育てるにが責務だと、大学教育のあり方を糾す--「国民が大学に期待するのは、大学発のベンチャーや大学ランキングなどでは決してなく、やはり広義の教育なのだ」--

チェルノブイリ以来の世界最悪の原発事故に直面するいま、その打開策と将来の道筋を明解に示すleading voiceの出現が待たれる。