9/11と3/11---コトの悲劇性と危険性はいずれが...?.



昨11日、世界はMoment of Silence(黙祷)の日となった。米ABCは一日中Ground Zeroを中継した。Ten Years AfterとThe NY Times。2001/09/11WTCの中で推定17,400人が勤務、うち犠牲者2,977人。遺族や縁ある人たちの悲しみは消えない


まさに“Tears and tributes as the US remembers”---“On 9/11, Vows of Remembrance”(追憶の誓い9/11)であり“The Day that Stands Alone”(孤高の日)と呼ぶべきだろう。

9/11と3/11、夥しい数の、何の罪もない無垢の人たちが犠牲になった。その点にこそ、この二つの惨事の共通性があろう。ボクには持ち合わせる言葉はない。ただ黙して目を閉じるだけだ。

が、disasterの悲劇性と危険性は9/11に比して、3/11がはるかに大きく計り知れないものがる。TEPCOや為政者さらには当時Nuclear Power Plantを鳴り物入りで誘致した現地の有力者たちは巨大津波による原発事故を<想定外>だったと言い逃れすることは許されない。

今回事故が起きた原子炉は米GE社製「マークⅠ」型だ。<マークⅠ>は米国でも当初から「脆弱なモデル」「悪名高いモデル」として懸念される向きがあった。76年、GE主任技術者(当時)D. Bridenbaugh(D.B)氏が“事故が起きる恐れがある”とすると論評を紙上掲載、話題になったものの問題提起は葬り去られた。同年、24年間働いたGEを退職。いまD.B元主任はCaliforniaのビーチサイドで奥さんと2人暮らしをしている。

「日本に対し申し訳ない気持でいっぱいです」と涙ぐみながら語るD.Bさん。目の前の海浜にも津波が押し寄せ、20〜30艘のボートが流されたと言う。同氏は「万が一重大事故が起きたとき圧力抑制プールは十分耐えられるか」「想像以上の圧力が加わるはずだ」と危機感を募らせていた。


D.Rさんの分析と主張は全米でも関心をもたれたが、結果は原子力物理学の御用学者、N.C. Rasmussen教授に押し切られた。<原発事故で死亡する確立は50億分の1>“隕石に当たって死亡する確率より低い”とする『ラスムッセン報告』は<聖書>となって日本に紹介されTEPCOも大いに参考にした。

米国原子力規制委員会(Nuclear Regulatory Commission)もいい加減なものだ。地震が多発する地域での<マークⅠ>の安全評価を行なっていない。「規制の虜」と言われている。規制機関が被規制側の勢力に実質的に支配されているわけだ。

Fukushima Daiichiは1967年<マークⅠ>を導入した。設計から建設までGEに丸投げ、米国で営業運転も行なわれていないのに稼動させる拙速さと安上がり、儲け第一主義には呆れる。

原子力発電に我々は未来を託していいのか?”自問するときNOと答えざるを得ない。

いま、被災地の瓦礫がミッドウェイ海域を漂流している。1年後にはハワイ沖に流れ着くだろう。これは「想定の範囲」か?