侘しい“Yes, We Kan”

「砂漠の狂犬」と呼ばれたCol.Muammar el-Qaddafiの圧制もようやく終焉を迎えようとしている。42年間に及ぶ恐怖の独裁も異常だが、過去5年間に6人も首相がクルクル交代する国も珍しい。

PM Kanの退陣も惨めだ。「不人気のMr Kanだが、三ヶ月前、支持率を恢復するチャンスはあったはずだ」とThe NY Times東京支局長Martin Fackler氏はみる。かつて市民運動家だったMr Kanは活断層が走る危険な地震列島の原子力発電所の稼動停止を命じたところ、怪物の如き原発資本の逆鱗をかって腰砕けになってしまった。が他方、原子核恐怖が渦巻く国民からは歓迎された。Kanさんは世論が読めなかったのか。これが命取りになったようだ。

Kanさんの前の4人は全て世襲政治家。親や爺さんの七光りPMだ。それに比べてKanさんは異色だった。永田町のインサイダーPMとは違った。「脱原発に向けてアクションを起していたとすれば偉大なPMになれる機会となったはずだ」と補佐官は惜しむ。
かつて厚生大臣の時代、薬害エイズ問題に取り組み、我が国で初めてアカウンタビリティ(accountability)という言葉を使った政治家として評価された。


昨年6月Tシャツ姿でPM就任記者会見に颯爽と登場したMr Kan, President Obamaを真似て“Yes, We Kan”をスローガンに、当時の支持率は60%を超えていた。国際政治において存在感の薄い日本のリーダーの殻を破り、低迷して足掻きが取れない国政に生気を吹き込んでくれるであろうとの国民の期待は大きかった。それだけに、この急降下、リーダーシップの無さには愕然とする。


Post Kan争いに乱立のDP。“No, I Kan't”の後、“This is a nation groping in the dark for what its new goals should be”(出口が見えず、手探り状態の国)となるのか。

「状況変化の見通しはない。もしかすると、次期PMは史上最短命に終わるかもしれない」と日本政治研究で著名な米コロンビア大学Gerald Curtis教授は予言する。