原発再稼動の呟きが聞こえる--恐ろしきFault Line「断層」

我が多摩地区を選挙基盤にしている目下落選中の前LDP衆院議員さんが捲土重来を目指して今年も8/15に靖国詣でにでかけた。35年間欠かさず、見上げたモノだ。

子供のころ一緒に詣でた祖母が弟2人をフィリピンの戦地で亡くしている。祖母の口癖は「家族を守るため、国の未来のため、世界の平和を取り戻すため、誇りを胸に散った弟たちの思いを継いで、世の中に役立つ人になりなさい」だったという。銃後の母だったのだろ。でも、ここで云う“弟達の思い”とはどんなものだったろう。ボクの義母の弟もサイパンで玉砕した。陸軍少尉だった。母は晩年まで弟の死を惜しんでいた。無念を隠さなかった。

衆院議員は続ける「....多くの貴い犠牲があったからこそ、その恩返しのために、...多くの諸先輩が、祖国を建直すとの強い決意で、敗戦のどん底から新たな平和と繁栄を築いてきたのです。現在を生きる我々には、この平和と繁栄を次ぎの世代に繋ぐ責任があります」「今の政治では天国から見守る御霊は浮かばれない」「東日本大震災からの復旧・復興を成し遂げなければならない今だからこそ、人口減少・電力不足・財政制約といった課題を克服し、新たな経済成長の道筋、経済大国の土台を作らねばなりません」。そのうえで「8月15日、今年も平和と繁栄に向けた願いを新たにしたいと思います」と締め括る。

同氏は「古き良き日本...」と言いたいのだろう。口から出るコトバは“支え合い“とか“励まし”とか“絆”とか“希望を与える”とか...空疎で聞き飽きた台詞に違いない。原発事故には全く触れない。そのはずだ。「原発安全神話」がこびりついているからだ。


DPJの新代表選挙に名乗りを上げた人士と似たり拠ったりだ。「政府一体となって、一貫した方針のもと、強い責任感をもって(原発)再稼動に取り組むべき」と財界に脅かされてグーの音も出ない。ミットモナイ話だがこぞって財界に忠誠を誓うありさまだ。



あの大震災を体験した人たちの不安や恐怖はボクたちには到底わからない。軽々に“希望をもって”などと口走るべきではない。「希望をかなえるために何が出来るかを考える日々です」とある小学校教師。

放射能汚染への不安が募る被災地。“被災者の状況は悪化しており、生存そのものが脅かされている”と云う。無為無策・無責任な国や行政との断層は深まる一方だ。


国務省の元本部長が3/11直後の我が国政府の根拠無き楽観主義を皮肉っていた--“Hope is not a plan”(希望と計画は別のモノ--希望的観測に立って無策とはこれ如何に)