節電は出来るが難しい“一歩の踏み出し”

先日LAのLittle Tokyoで七夕祭りが行なわれていた。日本より一ヶ月遅れだが、街の通りに≪がんばれニッポン≫の横断幕が張り出されている。3/11から5ヶ月、海外からの励ましやエールにもそろそろウンザリする。況や国内をやだ。≪がんばれ東北≫≪日本の力を信じる≫などの空疎なキャッチフレーズは禁句にしてもらいたい。

95年1月17日の阪神淡路大震災で神戸の実家、浄土真宗のお寺が全壊した谷川浩司九段(第17代永世名人)が自らの被災体験に照らし、東北の被災者に向けて「がんばるな東北」とひと言。当時、まさに受難の身にありながらも4勝3敗で羽生名人を破り王将位を防衛、「震災がなっかたら獲られていたかも知れない」と述懐する谷川さんは、あの阪田三吉の曽孫弟子だ。


同氏の人柄について「礼儀作法も実力のうちと云うが、谷川君の立ち居振る舞いは実にきちっとしている。ノブレスオブリージュ(高い地位に伴う義務)を具現している」と先輩棋士は称賛する。同感だ。インタビューを受け、考えしぼり出した『がんばるな東北』の言葉は重い。
日本人は律儀で、忍耐強く、義理固くもある。海外でも高く評価され、美徳だと云える。例えば今夏の節電。8/14付The NY Times Weekly Reviewは“In a Post-Disaster Electricity Shortage, Japanese Ration the Watts”(惨禍に続く電力不足に節電の日本人)とのHeadlineのもと、“Japan may become a model for energy conservation”(日本はエネルギー保存のモデル)だと評価している。

が、rationing the Watts(節電)をもって≪Japan We can Believe in≫と言えるだろうか。言えば、日本人特有の生き方『頂点同調主義』に過ぎない。節電はいいことだ。国を守る力もエネルギーも必要だ。でも、国民の生命と財産はどうする? 為政者や一部のエリートや大企業に丸投げしていいのか。問題は日本のジャーナリズムとメディアだ。3/11まで“Atoms for Peace”「原子力平和利用」を煽り、Nuclear Power Plantを「原子力発電所」と称し決して<原子核による発電所>とは呼ばなかった。我々はその本質と危険性に無関心だった。閉鎖的な専門家集団のいう<原発安全神話><津波がきてもOK>という“まさかの”の見方を鵜呑みに、民主的な熟議を怠ってきた。“先の大戦”時と似て、「大本営発表」に騙されてきたわけだ。


66年前、8/15を境に青年士官は「私たちもようやく、目覚め救われるように、一歩前に出ます」と語った。

当時のメディアの豹変振りを文春復刊第1号(1945年10月1日発行)編集長、永井龍男氏が糾弾している--

「昨日迄一億総決起、本土決戦を強調したアナウンサーがその口調と音響で今日は軍国主義を忌憚なく指弾し民主主義を高調してゐる。アナウンサーは人格ではなかつたのだ、機械なのだ、市民は云ふ。耳を塞いでこの言葉を聞かず過ごす資格を我々は持たぬ。我々の過去の道は實にジグザグであつた。あらゆる強要に對して家畜の如く従順であつた。従順である以上に番犬の役を購つて出た者もあつた。今日の悔過の激しさを役立てねばならない」
元文春編集長でもあった昭和史に造詣の深い半藤一利氏は“明日への一歩”について国民が一致して「新たなエネルギーの開発」に向けて発想転換するべきだと語る。


財界人のなかではSoftbank会長孫正義の言動がずば抜けている。被災者に100億円の義捐金を寄附しただけではない。原発事故の福島の被災地を訪れ、被災者の受け皿作りに奔走。「老朽化した原発にかえて、太陽光など自然エネルギーにシフトすべきだ」と10億円の私財を投じて自然エネルギー財団を設立した。政治家もTEPCOも孫氏の爪の垢でも煎じて呑んだら如何?


65年前の『世界』1月号を開いてみた。≪剛毅と真実と智慧≫と題する安倍能成文相(当時)の次の言葉は今に通じるものがある---

「新たな現実を作ることである。平たくいえば現下の日本がどうなるというのではなく、それをどうするかが問題である。今の日本がどうあるかを見究め、これをどうにかせねばならぬ」