偶然の重なりを生かした達人(その1)

全く縁がなく、ボクに言わせれば、最も遠い処にあった教職の道を選んでしまった。40年以上の現役時代を退き3年経つ。気がつけば古稀を過ぎたのに、飽きもせず、また別な私学に渡り鳥だ。でも天職とは思わない。偶然に偶然が重なったお蔭だ。
偶然の出会いが人生の進み行きを変えた人も多かろう。問題は出逢いが何だったかだ。
児玉清さんが逝ってしまった。惜しみても余りある猛読書家、本の虫だけあって、≪私を変えた一冊、支えた一冊≫(文藝春秋)があったと語っている。
児玉さんは学習院の独文学科の学生時代、仏文学専攻の1年先輩のS氏から声をかけられた。

こともあろうに、仏古典作家、ラシーヌの『ブリタ二キュス』の原書を読んでくれという。コメデイ・フランセーズを日本で再現したしたい。その主役をS氏からいきなり頼まれたというから驚きだ。「僕が教えるから大丈夫」「耳から覚えれば簡単さ」ときた。そこで仏語の猛特訓、レコードを聴きながら、原書で1つ1つ台詞を確認、口ずさみながら、辞書を片手に翻訳しては意味を汲み取るといった作業のくり返しだったと云う。まるで昔のアテレコ、アフレコ時代を思い出す。
大変な苦労のすえ、無事、丸の内ホールでの上演を終えた児玉さんが述懐している。

「このフランス本の僕自身にもたらしたものは凄く大きかった。未知の領域に踏み込んで1つのことを成し遂げたことは、物事へのその後の大きな自信にも繋がったが、最大の収穫は、この『ブリタ二キュス』を通じて、S氏を初め仏文学科の刺戟と魅力に富んだ英才たちと仲間になれたことだった。学問のあり方、学び方、そして遊び方を含め、僕の視野は大きく広がり、俄かに僕の学生生活が輝きはじめたのだ」

児玉さんにとっての一番目の偶然だ。”遊び方を含め”とはどんなものだったか、生前、聞いておきたかった。
そして、第二の偶然が児玉さんを待っていた。