Justice has been doneの真義は...

5/3「憲法記念日」。我が国が現行憲法を採用した日、つまり憲法施行の記念日である。成文化された憲法を有する国の多くは、憲法を採用した日を祝日としている。

日本と同様、5月3日を「憲法記念日」としている国がある。Poland。今から140年前の1971年、ヨーロッパ初の近代的成文憲法を成立させたのはポーランド王国だ。

西欧の憲法といえば、あまり知られていないようだが、先日Royal Weddingに沸いた英国に成文憲法なるものが存在しない。民主主義の世界の一等国に何故..? 不思議に感じるのも無理はないが、それに代わる一定の重要な基本的文書がある。王権に対し社会の権利を保護しているマグナカルタ(1215年),国会の権限を拡大し、君主が政府の意思を無視することを事実上不可能にした権利章典(1689年)、国会代表制度を改革した選挙法改革法(1832年)などである。

ところで日本憲法の公布日は1947年の11月3日。この日を文化の日と定め、平和と文化を重視した。
現行憲法の基本精神は前文にあらわれている。なかでも基調は≪恒久平和の追求≫と≪平和を愛する諸国民の公正と信義への信頼≫(trusting in the justice and faith of the peace-loving peoples of the world)にあろう。
GHQ統治下、アメリカ人がわずか2週間で仕上げた憲法”であり“前文は悪文も甚だしい”と酷評する向きもあるが、“justice and faith”≪正義と信義≫の言葉は重い。
昨日のObama's Remarks on Bin Laden's Killingのにおける象徴的言葉が“Justice has been done”だ。



「正義は達成された」--大方の邦訳はJusticeを単純に“正義”と表現した。疑問の声が上がるのも無理はない。
justiceには「(当然の)報い、処罰」の意味がある。つまり“Retributive justice”(刑罰の応報主義=懲罰主義的正義)である。
All guilty people, and only guilty people, deserve appropriate punishment(罪を犯した者すべて、そして罪を犯した者のみが、相応の懲罰を受けるに値する)と定義している。ならば、retribution(応報主義)とrevenge(報復)は変わらないではないかとの異論もあろうが。次の語義の違いに注目したい。
There are numerous differences between retribution and revenge: the former is impartial, has a scale of appropriateness and corrects a moral wrong, whereas the latter is personal, unlimited in scale, and often corrects a slight.
retributionには“公正”さが存在し、適正な基準があり、非道を矯正せんとする意図がある。他方、revengeは“私怨・復讐”であり、然るべき基準はなく、些細な諍いからしばしば起こる。このように双方の概念の違いは歴然としている。
世界最大のお尋ね者、前代未聞のcriminalというべきBin Radenに対するretributive justiceはkillingかdeath penalty以外なかったと思う。

President ObamaはThe Remarksの最後を次のように結んでいる。
“Let us remember that we can do these things not just because of wealth or power, but because of who we are: one nation, under God, indivisible, with liberty and justice for all. ”
某紙の粗雑な邦訳を借用させていただく。
「富や国の力でこのようなことができたわけではない。我々が、全ての人に自由と正義が与えられた不可分の1つの国だから可能だったのだ」
ここで言うjusticeは文字通り『正義』の意味だろう。