“We are down but not out”---新たな国づくりへの転換点......(その1)

昼間でもいつも仕事部屋の明かりをつけて読み書きしていたが、3/11を起点とした節電奨励に促され、今も朝から私室は全くの無灯のなかPCのキーボードを叩いている。
「近頃のわれわれは電灯に麻痺して、照明の過剰から起こる不便ということに対して案外無感覚になっているらしい」「まあどういう具合になるか、試しに電灯を消してみることだ」--谷崎潤一郎『陰翳礼賛』の一節だ。
谷崎と親交の深かったのがこのほど日本永住(帰化)を決意したDonald Keeneさんだ。日本文学研究家の第一人者として知られ2008年文化勲章を受章したKeeneさんも88歳。米寿を迎え、このほど、永く教鞭をとっていたColumbia Universityでの最終講義を終えた。そのkeeneさんが谷崎の家を訪問、尿意をもよおしたわけではないが、トイレを借りた。『陰翳礼賛』の谷崎の家だ。Keeneさんは、薄暗く、ほんのりと障子越しの光のなかで冥想にふけることの出来る厠を期待したようだが、入ってみると“白いタイル張りの、ピカピカのトイレだった”と云う。谷崎の美意識と相矛盾する生活の利便性に期待を裏切られたKeeneさんだが、在日韓国人作家との対談≪日本のもう1つの姿≫のなかで、“日本人は自分の生活を美しくしようとしている”と熱弁、『日本人の美意識』への共感は人一倍強いものがある。
Keeeneさんは今秋までに日本に移住し、日本国籍を取得する考えを明らかにしていたが、Columbia大学での最終講義の終りに、「残りの人生を日本で過ごす」と日本永住を明言した。
3/11以降、日本から出国する外国人が後を絶たない。その数50万人を超え100万人に達するだろう。原発事故のなかでの日本永住の決意に驚いた友人もいたと云うKeeneさん、「『勇気づけられる』 と言ってくれた人もいた。私はその言葉が真実だと願う。長年の間、日本人は驚くほど私に親切だった」と述べ、そのうえで「東日本大震災に大変心を痛め、被災者との連帯を示すために永住の決意が固くなった」と語る。
keeneさんは最後に「現代は一瞬打撃を受けたが、(日本は)未来的には以前よりも立派な国になると信じている」と結んでいる。

    • 以上、---

昨夜、TVで仙台空港を呑み込んでゆく津波の映像に息をのんだ。『心がつぶれるようだった』と語る同じ米国人いる。『敗北を抱きしめて』のピューリッツァー賞受賞のJohn Dower氏だ。米国を代表する日本史研究家、MIT名誉教授のDowerさんは,あの津波の惨状に一人ひとりの命を見たはずだ。第二次大戦の破壊から立ち直る姿を描いたJohn Dower氏は3/11から1ヶ月半が過ぎたいま、戦後最大の国難、歴史的危機に喘ぐ日本の今後をどのように見ているか。耳を傾けたい。
KeeneさんもDowerさんも我々に向けて訴えんとするキーワードは“We are down but not out.”だろう。