大津波被災の芸者さんに宿る凜とした“健全な精神”

“Last Geisha Defies Time and Waves”--4/24付The NY Times Weekly ReviewのHeadlineは4度の地震津波を経験し、今回も辛うじて生き延びた釜石の最高齢の芸者Iさん(84歳)をクローズ・アップしている。
3/11 2:46pm,Iさんは自宅にいた。その夜、創業117年の釜石の料亭へ仕事に出かけるため身支度をしていた。14の時から数えて70年、三味を弾いて唄ってきた馴染みの料亭、仕事場だ。
白足袋を履き、着物も羽織り、髪結いも終え、お仲間の迎えの車を待っていた。戦(いくさ)に初めて出陣する若者にカツを入れる古歌を唄える最後の芸者さんとして地元では通っていた。
そのとき激しい揺れが襲ってきた。激震のあと立て続けに15回の余震に怯えている間もなく、35分足らずで街は津波に呑み込まれていった。この短い時間のなか、老芸者Iさんは津波から生き延びる術を知っていた。
釜石にやって来る前に3回、津波をかいくぐっている。1896年に襲ってきた大津波の話しを祖母から聞かされていた。「津波は大きな口を開けてあっと言う間に何もかも呑み込んでしまうものだ」
今度、担ぎ込まれた町の病室で「出来るだけ速く高いところに逃げるしか助からないよ」とIさん。
彼女は1933年、初めて津波を経験した。6歳のときだ。母親の背中におんぶされ助かった。今回は、彼女の馴染み客の男性におんぶされ街の高台に逃げ延びた。
Iさんは4年後88歳になる。米寿を節目に芸者から身を引くつもりでいた。生涯4度もの大津波の経験者だ。無形文化財といえよう。
Iさんの家も家財も、そして三味線も津波に持って行かれてしまった。
彼女は寿司屋の若旦那と結婚したが、娘1人をもうけて離婚。上京して日本舞踊を習い、釜石に戻ってきた。1950年代、釜石は好景気に沸き、料亭からの御呼びのかからない夜はなかった。
が、鉄鋼の街釜石もたちまち斜陽の風が吹く。
「近頃、中国から工場主がここへやってくる」とIさんの甥っ子さん。
壊滅的な津波被害を受けた釜石にも芸者さんがチラホラ戻ってきた。世話になった酒屋さんのMさんの前で、Iさんが“Kamaishi Seashore Song”(釜石港唄)を唄った。古い民謡だ。「この唄の節を正確に知っているのはIさんだけだ」と酒屋さん。
今度の津波にも生き延びたIさんの嘆きは深い。「あの晩唄いたかった。前の夜稽古して、調子がよかったのに...。唄えずにあの店がもう御しまいになるなんて、折角の唄がもったいないわねェ」
罹災者の凜とした健全な精神である。