首都圏の半旗と甚災地の始業式

“A hard-hit Japanese city sees signs of hope in road repair, reopened shops”--米紙CS Monitor,Gavin Blair日本特派員は「石巻市では、3/11大津波で壊滅状態になっていた街路と建物の何千トンもの瓦礫を除去。老舗の店にも客が戻りつつある」と復旧の足音を伝える。

同じCS Monitorは15日、“Learning from Japan, once again. I'll bow to that.”と「日本に学ぶところが多く、またまた脱帽」と報じている。

福島第一原発の災害は米国の原発にとってまたとない教訓を与えている。功罪相半だが、米国に及ぼす日本の影響は、まるで椎茸のように、こびり付き離れない」という。
とてつもない災禍に遭っても、日本の底力は相変わらず侮れないと云うわけか?
壊滅的被害を受けた街の小中学校で合同始業式が行なわれた。陸前高田市も今日が始業式。学校は跡形なし。会場は街の公民館ホールだ。
石巻でも明日21日が始業式。今春中一になるH君にとってこんな長い春休みは初めてだった。3/11以来、小学校の教室が避難場所となり、コミックや漫画を読んだり、ゲーム機相手に時間を潰すしかなっかた。明日の始業式が気になって仕方がない。毛布を隣の母と分け合い、「中学校ってどんなとこなの?」
被災地の教師こそ大変だ。子供たちの心のケアーという過酷で未知の体験に直面しなければならない。
陸前高田市の始業日。子供たちを前に、担任の先生が言葉に詰まった。涙を堪えてしぼり出すように「皆で素晴らしい陸前高田市を創ろう」。声にならない訥々としたこのひと言に胸を打たれる。
首都や副都心の庁舎や大企業のビルの玄関に半旗が翻っている。単なる儀礼にしか見えない。復興にはほど遠い悲惨な現地の極限の声に耳を傾け、何を心で感じるかだ。