絶望の淵にある人たちに.....

避難生活も今では極限にあるだろう。
3/11の数日後、踏み潰され、押し流され、跡形もなく消滅した地獄絵図を前に悄然と立ちつくし「何もなくなってしっまた。誰もいなくなった」と呟いていた人がいた。その後どうしているだろう...。


16年前の「がんばろう神戸」は震災地を鼓舞する言葉として、生き生きしていた。現地をフランチャイズとするプロ野球チームのスローガンだったからだ。
東北の罹災者の姿に人間としての尊厳をあらためて気ずかされ、頭が下がる。
秩序と強靭な忍耐力を称賛する海外からの声が絶えない。日本人の美風、恥じの文化の典型的な発露か?
ボクは必ずしもそうとばかりとは思わない。「がんばろう東北」とか「がんばろうニッポン」の掛け声や横断幕が余りにも空疎に聞こえ、目に映るのは何故か? 阪神淡路に比べ、被災者の“絶望”の度合いが著しく違うからだ。復旧のメドが立っていない。仮設住宅もほんのわずかなものだ。

そのうえaftershocksが絶えない。nuclear power plantの恐怖と“爆弾”を抱えている。放射能物質の飛散と使用済み汚水の流出がいつ止まるか。10年以上はかかるだろうと言う。気が遠くなるほどuncertaintyが続くわけだ。
日本各地で義捐金募集、海外からも支援金が続々と寄せられている。EU圏の小国からも10数億円、南アジアの最貧国の1つバングラディッシュ北朝からも送られて来る。


Hillary Cliton国務長官がやって来る。3/11後はじめての海外大物の来日だ。この時とばかりに、日本へ最大限の支援強化を約束し、日米同盟の強化に結び付けようとの意図のようだ。が、一方“The United States has lifted its travel warning for Tokyo”,「不要不急の東京や東北地方への旅行は延期するよう」勧告を出している。Avoiding Tokyoのお触れじゃないが、海外からの短期留学生の一時?帰国、首都圏からの避難が後を絶たない。アメリカン.スクールがあり、non-Japaneseが割と多い我が街もこのところ外国人の姿がめっきり減った。

現地自治体に願いたいのは義援金や支援金の一的バラマキは止め、企画的.重点的活用だ。
「人生で大切なものは、勇気と想像力、それに、少しのお金だ」

Charlie Chaplin“ライムライト”の中の道化師の台詞である。被災地の人々の挫けぬ勇気とボクたちの“罹災地に寄せる心”--想像力が大切だ。
特に教育に携わる者たちにとって不可欠なものは“Hearts and Minds”--
大江さんの言う≪頭で考える。心で感じる---魂の力≫だ。