桜も開花を自粛か・・

桜花爛漫どころか二分咲き程度の校内の桜。5月を思わせる温暖な今日、マイナーな某私学の入学式が行なわれた。真っ白な稜線が眩しい富士を望める武蔵野の高台にある高校だ。桜の満開にはほど遠い。


今なお手つかずの東北の惨状は正視できない。こうした中、入学式を寿いでいいものか。正直戸惑いながらも15歳の春を越え、峠の上に立つ入学生を大人たちが拍手で迎え入れた。恙無く新学年がスタートできたこの幸運と幸せを感謝しなければならない。こころなしか桜も開花を遠慮がちだ。
「いまや日本は自制・自粛と結束・連帯の新たな時代を迎えた」と云う。つまり我慢・辛抱だ。だれが辛抱するのか。罹災者に我慢を強いるのか。死を待つばかりの人たちもいるはずだ。絶望の淵にいる人たちは数え切れない。僕たちに何ができるというのか。
「頑張ってください。応援しています」「僕たちの活躍が被災地への励ましになるだろう」だって!軽々しく口走ってはいけない。“I have no words to express.....”(申し上げる言葉が見当たらない)が正直なところだ。

入学式も鎮魂と祈りを基調としたものとなった。新入生がハンカチで涙を拭う。感動の涙ではない。“I am always with you”の涙に違いない。これを真情と呼ぶべきだろう。その“Hearts”の中から明日への志が生まれる。若者のstrength(逞しさ)とwisdom(叡智)に期待したい。そのHearts and Mindsの結集が≪復興≫の道筋をつける礎となろう。
大江健三郎氏の「『新しい人』の方へ」を再読したい。新しい日本人の登場が待たれる。
今まさに「挽回すべきは国民の良心」かもしれない。善意(good will)と良心(conscience)は異なる。