空疎に響く“頑張れニッポン。日本の力を信じる”

一週間ブログの拙文、社会時評を休止した。夜分、物書きや諸事に翻弄されていたせいでもあるが、被災地の惨状に申し上げる言葉が浮かばなかったからである。

メディアの映像は罹災者の悲痛な実態や極限状態にある避難生活の窮状を伝えきれない。ましてや犠牲者の無念、遺族の絶望に近い悲嘆について、僕たちは到底想像できない。ただ、黙して落涙し、首を垂れるだけである。

今朝のA紙一面トップに『集団疎開ごめんね』のヘッライン。まるで戦時中を髣髴させる。紙面は3/12「東日本大震災」「M8.8世界最大級 大津波」「家族は 仲間は」の衝撃的見出し以来、TV番組欄が最終頁から外されている。非常事態が続いている証拠だ。


私たち首都圏は計画停電、電車の運行本数減に不便・不自由を強いられているが、計画停電には実施地域・区域の差別化が見られる。23区中、荒川・足立の両区長はは怒り心頭だ。機能マヒに追い込まれている工場・商店・飲食店がある。悲惨だ。

被災地の人々の耐性と涙に暮れながらも凛とした規律ある姿に世界は驚嘆し、敬服する。
僕たち首都圏の市井人はいま、多少の不便はあるものの、何不自由ない快適な生活を送っているはずだ。ならば、その便利と快適さを少し削って、罹災地に分け与える手立てはないものか?

でも、我々とて安全ではない。のほほんとしていられない。tremendous quake & tsunamiによりダメージを受けたNuclear Power Plantのradiation fearsが身辺にじり寄りつつある。



President Obamaをはじめ、西欧国家のリーダーは地球温暖化問題の解決策の一助として原発の開発に期待してきた。化石燃料への依存を減らし、安全で温室効果ガスのない電力供給を目指してきた。今度の日本の惨禍はこの方程式を狂わせ、エネルギー政策を複雑化させることになった。一週間前のThe NY Times Weekly Review、Front PageのHeadline“Rethinking a Nuclear Future”は鮮烈だ。

nuclear radiationが土壌・浄水場から海洋にも及びつつある。

海洋汚染を懸念して、世界を航行する貨物船が太平洋日本近海の航路を避けて通りつつあるからだ。海外は日本からの自動車部品が届かないと悲鳴を上げている。世界の自動車産業に打撃を与え、世界経済への影響も大きい。

海洋にまで忍び寄る福島第一原発からの放射性物質汚染。Japan's crisisはどこまで及ぶ・・? いつどの段階で抑止されるのか?

そして、不謹慎だがこの責任はどこにあるのか? あくまでも想定を超えた自然災害のせいにするのか・・?