途方もなく遠い道

2004年12月26日のスマトラ島地震、Ache州を襲った巨大tsunamiの惨状がまるで昨日のことのように思われる。マグニチュード9.1,犠牲者22万人。


これに匹敵するhorrible quake & tsunamiに見舞われたTohoku Quakeには更にnuclear radiationの恐怖が追い討ちをかけている。首都圏に住むボクたちも他人事ではない。


“The Ache and Japan quakes were two of the largest tremors recorded since 1900”(アチェと日本の地震は1900年以来最悪の二大震災だ)
この二つの震災を経験した人がいる。スマトラ大震災のあと来日、仙台で研究生活に従事していたMr Fuadiさん。いまインドネシアに戻っているが、再来日して自らの研究を達成したいと計画している。でも、“But now it's the nuclear radiation that I'm afraid of.”(いま怖いのは核放射能です)と顔を曇らせている。

“Despite what has happened, my family and I have so much to thank God for.”(惨禍に遭ったものの、私の家族と私は、神様に感謝するばかりだ)とFuadiさん。“We have survived two of the biggest natural disasters recorded in history”(歴史上未曾有の二つの自然災害のなかで生き長らえたからです)
地震と巨大tsunamiによるNuclear Power Plantからのradioactive contaminationの恐怖を日本政府とTEPCOは甘く見ていたかそれとも情報制御したのか・・。初動が数日出遅れたのは、海外メデイァの鋭い指摘を待つまでもなく明らかだ。plantsへの命がけの放水作業が続けられている。隊員の決死の姿が痛ましい。


被災地の人々の苦悩は想像できない。TVなどメディアはそのリアルな地獄絵図は報じようがない。
復旧の足音がかすかに聞こえつつあるようだが、国難からの復活の道は途方もなく遠い。