catastropheに言葉なし・・

当日、新丸ビル二階のラーメン屋さんで仕事仲間と遅い昼食中にbig quakeに見舞われ半ばパニック状態。transportsがいずれもストップ、地震難民となって足止めを食らった。

地下鉄通路は95年3月20日地下鉄サリン事件を彷彿させる。足を奪われた無数の人たちが無表情に座り込んでいる。
ボクたちは新丸ビル5階で夕食をとり、そのまま通路の椅子に坐っていた。連絡・通信は全くダメ。10時半頃、ガードマン諸氏から「ビルから出ていただけませんか?」と懇願された。同じように同階の通路の椅子に、ソファに多くの難民が坐っている。中に妊婦が横になっている。赤ん坊の泣き声が聞こえる。ビルの管理人や店のマネージャーがガードマン諸氏と折衝、追い出しを免れた。

状況が一変した。差し入れが出る。お結びなどの炊き出しがある。23時過ぎにメトロが動き出したが、うかつに地下に降りれば乗客殺到、パニックの危険性大だ。かくして、丸ビルで同僚と一夜を明かすことと相成った。
未だ夜が明け切れない5時30分頃、東京メトロ丸の内線で池袋へ。そして西武線に乗り換え、郊外の最寄り駅に到着。駅ホームから見える白雪のMt Fujiが眩しい。自然の景観と恐るべき脅威を同時に実感して帰宅した。
随分恵まれた難民生活の一夜だった。幸運の極み。ただ感謝するばかり。
Digital SignageとTVを見る気にならない。言葉も無い。CatastropheでありChaosだ。 It's the worst disaster in Japan since the World War Ⅱ.と云うべきだ。



The NY TimesのWeekly ReviewのTop News、“The Limits of Safeguards and Human Foresight”そして同紙Asia Pacific版“Japan's Strict Building Codes Saved Lives”--この二つのheadlinesが胸に刺さる。
当日も我が身、明日は我が身だ。God Bless our country!