卒業式の時節は修業の始まり--空疎な言葉は禁句。


入試も国立大学の後期試験を除き山場だを越えた。卒業式のシーズン到来、高校の卒業式がトップを切る。
マニュアル化した式辞や祝辞が式そのものを無感動な味気ない儀式と化してしまう。
“夢と希望をもって”などという言葉は聞き飽きた。ボク自身使ったことがない。夢は幻となり希望とてともすると消え褪せてゆく。そん儚さを覚えるからだ。このところ“大志”という言葉を耳にすることは稀だ。大志(こころざし)も同じだが若者の辞書に“修業”という言葉がないのではないか。

若者の責任ではない。軽薄で軽率な大人の言葉に問題がある。
いわゆる「卒業クライシス」じゃないが、高卒も大卒も卒業という峠を越えれば明るい夜明けが待っているわけでない。未知の世界が待ち構えている。霧の海だ。unknown & uncertain future(未知で不確実な未来)だからこそ面白い。

「未来が保障されている」ことが若者の学習意欲・労働意欲を担保するか。逆だ。「未来が未知」だからこそ、学びの意欲や働く意欲が沸くという若者は必ずいる。あえて挫折と困難を経験させることだ。それでも決然と己の志を捨てない。それが本物の“夢”というものだ。
“I say to you today, my friends, that in spite of the difficulties and frustrations of the moment, I still have a dream.”(今日、皆さんに宣言したい。いま数々の困難と挫折に直面しているが、それでも私には夢がある)

Martin Luther King, Jr.の余りにも有名な“I have a dream”スピーチの一節だ。時は1963年8月28日、処はWashington D.C.のLincoln Memorial。250,000人の聴衆とともにワシントン大行進の先頭にたち、黒人の地位向上、公民権獲得に命を懸けた。5年後の68年、Memphisで凶弾に斃れたキング牧師の“夢”はPresident Obamaの誕生によって実現した。

non-violenceを貫いたキング牧師の壮大な 夢はまさに死を賭した大志だったわけだ。