名も無き民衆に畏敬!--Cairo

今朝のThe NY Times国際版、International Herald TribuneのEditorial OpinionsそしてCommentary LettersはEgypt情勢一色だ。


“Egypt's Agonies”(エジプトの苦悶)を掲載する社説をはじめ、“An exit plan for Mubarak”(ムバラクの為の引き際プラン)と題して、Tarek Masoud氏(中東問題専門家のハーバード大学助教授)は“Egypt's Constitution shows a peaceful path to democracy”(エジプト憲法が民主主義への平和的プロセスを示しいる)とコメント。

半世紀に及ぶジャーナリストを終え先ごろBoston Globe紙から引退したH.D.S.Greenway氏はEgypt's time for dying and rebirth(末期と再生の時を迎えたエジプト)のheadlineのもと、“There is little the U.S. can do now except try to facilitate a soft landing for the old Egypt and an orderly transition for the new”(旧エジプトから新エジプトへの秩序ある移行のためのソフト・ランディングを促す以外、米国が介入する道はほとんどない)と説く。

かかるcommentaryのなかでも出色なのはThe NY Timesの論説委員Nicholas D. Kristof氏の“This is for my country”と題する現地取材記事だ。
先日木曜日、民衆デモの拠点、Tahrir Square(タハリール広場)に入ったKristo氏はMahmoodという名の大工さんに逢った。彼は左腕を包帯で吊るし、片足にはギブス、頭は包帯でグルグル巻きの姿。民主化デモ隊による仮設診療所から出てきたMahmoodさんはこの24時間の間に、親政府系の暴徒に襲われ7回診療所に通っては怪我の治療を受けている。が、彼は包帯を巻き直すや、よろけながらも再度デモの先頭に立ち、“I'll fight as long as I can”(倒れるまで闘うんだ)と決然と語った。Kristof氏は思わず畏敬の念に打たれたという。

これこそ断じて屈しない決意の象徴的シーンだと捉え、同氏はMahmoodさんに向けてカメラのシャッターを切った。ところがどうだろう。彼の後ろに車椅子があるではないか。Mahmさんは何年も前に列車事故に遭い両脚を失くしていたのだ。それなのに車椅子に乗ってタハリール広場にやって来た。民主化運動への連帯の意思を示すため。そして彼は明らかにMubarakが送り込んだとしか思えない暴徒による投石の標的になってしまったのだ。

Kristof氏はMahmさんに問いかけた「両脚の大手術を受けた身なのに車椅子に乗り、そのうえ火炎瓶や鞭やレンガや鋭利な刃物に傷つけられながら、何故このような戦場にいるのですか?」
Mahmさんは毅然として答えた。「私はまだ両手を持っている。神の思し召しだ。闘い続けるだけだ」
「Mubarak氏は大統領としての晩節を汚した。彼の政権は民衆に対し野蛮な暴圧に出た。そればかりか、民衆デモはもとより人権活動家やジャーナリストをタハリール広場に封じ込めようと躍起になっている」とKristof氏。
この広場以外でもそうに違いないが、タハリールの診療所には150人の医師達が危険を顧みず、ボランティアで懸命に働いている。そのうちの一人、棒切れを頼りに歩いている医師、64歳のMagedさんが言うには「今までこうして抗議デモなどに参加したことなどないが、現政権の平和的な民衆デモに対する非情の仕打ちを耳にし、堪忍袋の緒が切れた」
かくしてMagedさんは木曜日の朝、覚悟を決めて125マイルの道を車でタハリール広場に駆けつけ、負傷者の治療にあたっている。
彼は「もう戻れなくなっても構わない。この民衆に加わらなきゃならないと決意したんだ」
そして「もし命を失くしても、それは我が国家のためだ」と付け加えた。

タハリール広場の真ん中あたりでKristof氏はアラブ女性活動家の指導者Nawal El Saadawai博士とばったり会った。今年で80歳になる白髪の見るからに痩せたSaadwai博士が“I feel I am born again.”(生まれ変わったみたいな思いです)と興奮。この広場で民衆デモ隊とともに一夜を明かすと付け加えるのを忘れなかった。彼女もまた、Mubarak氏は犯罪者として法定に引き出される前に、国外脱出の道を選んだほうが身のためだとほのめかす。

Mubarakは“アラブの盟主”エジプトの英雄だなどという自負に凝り固まり、即時退陣を拒否し、President Obamaさえ非難してるありさまだ。始末に負えない御仁とはこの人物のことだ。Mubarakがどんな手練手管を使い延命を図ろうとしても変革の流れは止めようがない。


民主化の為ならば自ら犠牲を厭わないと口々に語るエジプトの民衆が大半だ。
Kristof氏が広場を去るとき案内役を務めてくれた若きLeila嬢は「私たちはみんな内心では怖っています。でも今、この恐怖心を打ち破ったのです」と語った。

Kristof氏は現地レポートを次のように締めくくっている--
“The lion-hearted Egyptians I met on Tahrir Square are risking their lives to stand up for democracy and liberty, and they deserve our strongest support--and, frankly, they should inspire us as well. A quick lesson in colloquial Egyptian Arab: Today, we are all Egyptians!”(タハリール広場で出合った勇猛果敢なエジプト国民は民主主義と自由ために命の危険を冒して立ち上がった。彼等の行動は我々の最大限の支援を受けるに値するものがある。さらに、率直言えば、彼らは我々をも鼓舞してほしい。エジプトの現代アラビア語からいま教訓を得るとすれば、≪いまこそ、我々はみんなエジプト人民だ≫)


Kristof氏の現地Cairoレポートに感銘し、中東の盟主エジプト人民のlion-heartedに心を打たれ、冗長な拙文となった。ご容赦願いたい。