Tucson Tragedyから教訓が導けるか?

昨年米議会で議論沸騰のHealthcare Billが議会通過以後、the midterm electionの選挙区マップに倒すべきDC候補、重点地区をrifle cross hairsの目印を付け、過激なrhetoric“Don't retreat, instead--reload”(撤退するな。弾をこめよ!)を連発したSarah Palin。The Tea Partyのシンボル的存在として2012大統領選のGOP有力候補?にも浮上する勢いだった。

rifle cross hairsの標的の一人だったMs Gabrielle GiffordsがTucsonでの政治演説会で実弾により狙い撃ちされた。
8日の惨劇後沈黙を守っていたSarah Palinが世論の激しい批判にさらされ、やむなくVideo Messageを流した。星条旗をバックに7分余のステートメント。まるで大統領気取りだ。彼女は自らを批判する政治家やジャーナリズムに対し反転攻勢。『私の発言をArizona Shootingに結びつける連中のやり方は“blood libel”『(血の復讐)だ』などと激しく逆襲し反論した。ところが、この“blood libel”なるrhetoricが拙かった。
Tucson Tragedyの追悼集会で政治的な批判を控え、reconciliation(国民和解・融和)を基調にしみじみと語りかけたPresident Obamaと好対照をなすステートメントとして国民の批判を増幅。GOP大統領候補としての資質に欠けるとする世論が高まった。
そこでSarah Palinは今度は自己弁護。2012に触れて“I am not ready to make an announcement about what my political future is going to be. But I will tell you...I am not going to sit down. I am not going to shut up. ”(私は自身の政治家としての将来計画を発表するつもりはない。けれども、私はただじっとして、黙っているつもりはない)

大いに口うるさく、声高に喋ればいい。
ところで、燦燦たる太陽のもと心機一転再出発するのにうってつけの土地として知られているArizonaだが、この州の心理と風土は如何なものか。今回の惨劇は同州の隔絶され孤立した文化を顕在化させるもになった。


Arizonaの光と影。確かに夕陽は美しい。でもそこに住む人々の心は途方もなく打ち沈んでいる。
14000人の聴衆で埋め尽くされた追悼集会。President Obama's Addressに聞き入る人々の一人がスローガンを掲げていた--“We Will Heal”(深い傷を癒やそう)。

“Was it tragedy in Tucson? or terrorism?”(ツーソンの惨劇は悲劇だったのか、それともテロなのか?)
ジョンホプキンズ政治研究所中東問題専門家、Georgetown大学准教授Daniel L. Byman氏がThe Washington Post紙に問題提起している。

同氏は“Loughner called Giffords 'fake,' language more reminiscent of Holden Caulfield than Ayman al-Zawahiri”(犯人Loughnerはギフォーズ議員を“ペテン師”と呼んでいた。この言葉はアイマン・ザワヒリよりホールデン・ゴールフィールドを想起さるものがある)


Zawahiriは知る人ぞ知る国際テロ組織、アルカイーダの実務上のリーダーだ。彼はBarack Obama氏を“House Negro”(米国の奴隷制度時代、家庭内で家事手伝いをしていた黒人奴隷を意味し、過酷な野外での肉体労働に借り出されていた黒人奴隷からは『裏切り者』と呼ばれていた)と称した。
Holden CaulfieldはJ.D Salingerの名著“The Catcher in the Rye”(ライ麦畑で捕まえての)の主人公。大人に対し反抗する、反逆心と苦悩に満ちた10代の若者の象徴的存在として知られている。

Tucson Tragedyを受けて米下院DP議員40数名が今回の銃乱射事件で使われた30発の弾を連射できる銃創の銃の販売と使用を禁じる法案を提出したという。この法案に対するGOPの対応が注目される。