Tucson Tragedyの衝撃≪3≫(To be continued)

Tucsonの惨劇から2日過ぎた10日、President Obamaは犠牲者や被害者への哀悼と祈りの黙祷を全国民に呼びかけた。

英紙The Independenceは“Briefly united, America falls silent grief and remorse”“A minute's silence to honour those slain in Arizona was therapeutic, but quickly over”(アリゾナでの犠牲者に対する1分間の黙祷は米国にとって一時の鎮静剤になろうが、その効き目はあっという間に消える)と論評する。

アリゾナからの衝撃的ニュースを聞いて、我々は本当に驚いただろうか?
それともこうした残虐な行為が起きることをある程度、予測していたいたのではなかろうか?」
The NY Timesのコラムニスト、Paul Krugman氏は“Climate of Hate”(憎しみの季節)と題する所見を寄せている。
同氏は「2008年の大統領選最終段階以来、腹部のみぞおちあたりに悪寒を覚えている。1992年Bill Clinton政権誕生以来、憎しみの政治情勢が高まってきた。Oklahoma Cityの民主党事務所爆破事件がその象徴だ」「2009年、国家安全局は内部レポートにおいて、超右翼的傾向が高まり、潜在的に暴力発生の危険性があると指摘した」

「保守派はこのレポートを一笑に付した。が、現状はどうだ。アリゾナの銃撃犯は精神異常者かも知れない。しかし、彼の行為が異例の出来事として片付けられ、我が国のこんにちの政治風土とは無縁であることを意味しない」
そのうえでKrugman氏は続ける。“It's important to be clear about the nature of our sickness”(我が国の病気の本質を今こそ解明することが重要だ)
「市民としての倫理観の欠如だなどという表明的な物知り顔の言葉で片付けてはならない」

「問題は民主主義社会おいては、政治信条や意見を異にする人たちを一笑に付し、排撃する者たちの入る余地がないということだ」
「つまりeliminationalist(排他的超国粋主義者)は民主社会はなじまない。彼らは自己と反対論者に対しては、その意見の是非に関わらず排撃する輩だ」
「こんにちの政治論議にじわじわ浸潤しつつあるのは排他的超国粋主義者の言葉であり、その背景に暴力的潮流が潜んでいる」
「かかる狂気の如き言辞の源はどこか。議会民主党から聞こえたことは皆無だ。大半が右派からだ。GOPが張本人だ」
Sarah Palinの言動がその典型だろう。

「The Washington Postの記者やコラムニストが銃の標的になったり、Glenn BeckやBill O'Reillyが狙われたりするなんてことは冗談にもあり得ない」
「ブッシュ前大統領の元スピーチライターが語っている。『GOPは元来、Foxが我が方の強い味方だと考え、今度はFoxに我が党の方からお返しをしなければならないと思っている』」

「今度のArizonaの悲劇は我が国の毒々しい政治論議を和らげることになるだろうか。一にかかってGOPの指導者次第だ。彼らは今アメリカに起きている現実を受け入れる用意があるのか。排他的愛国主義者の言葉に対して毅然と待ったをかけられるのか。それともこれまで同様、今回の虐殺事件を単なる独りの一匹オオカミの凶行と片付けるつもりか?」


「Arizonaが深層心理を追求すれば、1つの政治的転換点となろう。さもなければ、先週土曜日の残忍行為は我が国の悲劇の始まりとなろう」

Paul Krugma博士の分析は米国民にとってだけではなく、国際的にも実に重たいのがある。