懐旧よりLook ahead

小学校の同窓会に参加した。ほぼ35年ぶりである。何年おきに行なわれているか知らないが、今回で10回目だという。1952年度(昭和27年度)卒の同期生30人弱がホテルに集まった。敗戦後2年経ち、国民学校が小学校と改称され、教科書がカタカナから平仮名に変わった時代に入学した者たちである。みんな古稀を迎えた。12人が鬼籍に入っている。
小1の担任はアメリカ帰りの女子先生だった。厳しくみんな怖っていたが、ボクは一種の憧れの気持を抱いていた。

小3から最終学年の小6まで四年間担任だったT先生がお見えだった。御齢86才、まさに恩師というべきだろう。
小2の一時期、週5日制が試行された。あっという間に廃止されたが、愛称アイクのアイゼンハワー元帥がトルーマンの後を継いで大統領に就任。なぜか学校中が沸いた。米国礼賛一色の小学校時代だった。卒業前の53年3月、ソ連の独裁者スターリンが死去。みんな歓喜した。反共ムードの渦巻く時代だった。


同窓会も、そんな時代の思い出話しが飛び交う同期の集まりなら意味があろう。また、いま仕事の一線を退き、互いに仲間の近況や家族のことなどを語り合い旧交を温める場ならばいい。互いに健康を気遣い再会を楽しむ機会だと思う。
が、そのような同期会ならではの文化度が極めて希薄なのはなぜだろう。自己のことを語りたがらない。後ろめたいものがあるのか。語るべきストーリーがないのか。あるはずなのに隠したがる。相手の腹を探る者さえがいる。
なかでも苦手なタイプは、役人上がりの連中だ。部長で辞めたのか、本流から疎外され出世を果たせなかったのか知らないが、“民間人”に対する敵愾心剥き出しだ。

古稀を迎えた者たちこそ“温故創新”の精神が大切だ。“この世は闇”−−余りにも知らないことが多すぎる−−
未知の自分をしきりと実感しているボクにとっては懐旧やlook backよりもまだまだlook aheadだ。それでなければ、hearts and mindsが枯渇してしまう。
烏合の集のような懐旧会はうんざりだ。
夜9時前に帰宅した。まもなく1歳になる愛犬(柴犬)が闇夜の庭のkennelで飛び上がり、“Welcome home”で迎えてくれた。“Thanks. I'm home.”