中国の対国際社会への恫喝−(腫れ物に)触らぬ神にタタリ無しか?

劉暁波氏のNobel Peace Prize受賞は「ノーベル平和賞に対する冒涜」だと中国当局ノルウェイを恫喝。外交面でも人権問題での批判を封じ込めるのに懸命だ。ましてや、中国国内の言論統制と監視体制の強化は異常だ。非公認のキリスト教信者の北京空港からの出国を阻止したり、服役中の暁波さんに面会した夫人の霞さんへの電話回線を切断したりする有様だ。


欧米諸国もeconomic giantの中国に「経済カード」をチラつかせられて、民主化や人権尊重を求める包囲網もイマイチ迫力に欠け及び腰だ。

我が国政府は欧米以上に腰抜けだ。ハノイで防衛相が中国防衛高官と固い握手。「尖閣諸島問題をよろしく。そう固いことを仰らずに仲良くしましょう」ってなワケだ。
民主化や人権よりも、経済発展に狂奔する中国政府。「貴州省の山奥では今も貧困に苦しむ人々がたくさんいる。彼らが豊かになる権利はどうなるのか。そのための経済の発展には『社会の安定』が必要だ」と主張するが、よく言えたものだ。賄賂や腐敗が渦巻き、一部のhaves(持つ者)が富を独占する中で、驚くべき貧富の格差を招来している元凶は、今の同国の体制にあるのではないか。基本的人権は何も言論・出版・結社の自由の尊重だけではない。食うや食わずの生活を強いられている辺境の住民、農民の生存権さえ脅かされている。否、彼等の苦役と犠牲の上に立って中国がGDPの驚異的アップを誇示しているのが現状だ。

劉暁波氏はこのたびのNobel Peace Prizeは「天安門事件の犠牲者の魂に捧げられたものです」と語っている。非暴力を貫く人権活動家を徹底的に抑圧しなければ『社会の安定』が維持できないとする中国は一体どんな国家なのか。

ボク自身、10年以上前に、中国の回民族系の中等学校と“友好姉妹校”の締結にこぎつけ、同国人民に愛着を持つ者の一人として最近の中国当局の傲慢さには怒りを超えて呆れるばかりだ。

奇しくも本日来日した同じくNobel Peace Prize受賞者のDali Lama氏の「ノーベル平和賞は正しいときに正しい人に授与された」のひと言が胸に響く。