単語に敏感に、そして・・

常用漢字が新たに196字加わることになったが、PCやmobile phoneでの変換可能な今の時流に合わせたものである。新規の漢字には「(憂)鬱」や「(語)彙」など容易に書けない字が多く含まれているが、こうした難漢字を“使う”世代は20才代以下の若者が多いことが文化庁の調査でわかったという。「携帯など情報機器で漢字の変換が容易になったことで若者の多くが難しい字に接する機会が増えているためだろう」と文化庁は分析している。

この状況は、若者の、難解な漢字の読み書き読解力が向上したことを示しているわけではない。
ボクには≪欝≫や≪彙≫などという字画の多い字はとてもそらで書けない。どうしても書く必要のある場合は角川の「漢和中辞典」を調べ、意味がわからないときは「広辞苑」をめくる古典派である。
常用漢字は新加入字を含め2136字だが、当初基本語彙は何語だったか。注目すべきは1955年1月1日初版の「広辞苑」に大野晋氏が担当した≪基本語彙一千語≫だろう。丸谷才一氏が『挨拶はたいへんだ』に続く“名人芸50の見本帖”というべき近著『あいさつは一仕事』において“本居宣長よりも偉い学者”と題して≪大野晋葬儀での弔辞≫を掲載している。
丸谷さんはJames Joyce『Ulysses』の翻訳者として知られているが、この大小説の第14章<太陽神の牛>の翻訳の際、「唯一最高の参考書が『広辞苑』の基本一千語で、日本語の大筋をしっかりと見渡すあの貴重な眺望図があるからこそ、あの章はわたしに訳せたのでした」と感謝している。

広辞苑」は改訂を重ねられていま第六版が最新版だが、ボクの手許にあるのは第四版で留まっている。1991年11月15日発行されたものだ。当時6500円の大枚を叩いて買った動機は極めて単純だ。2年前に他界した美空ひばりや手塚治などの昭和を代表する人物が掲載されているからだ。これには正直驚いた。岩波の「広辞苑」ともあろう堅物の辞典に大衆派の著名人が加わるとは・・。
美空ひばり】第二次大戦後の代表的流行歌手。本名加藤和枝。横浜生まれ。「悲しき口笛」「東京キッド」「りんご追分」など、主演映画とともに次々とヒット。ほかに「柔」「悲しい酒」など


【手塚治】漫画家。本名、治。大阪生まれ。大阪大医学部卒。映画的手法を駆使、現代漫画を確立。アニメーションも製作。「ジャングル大帝」「鉄腕アトム」「火の鳥」など。


こんな調子で簡略にまとめられていて悪くない。
広辞苑」といえば第何版かを問わず、厳然として新村出編だ。どの版もそうだが、第四版の後記に「本書は全面改訂による新版ではあるが、旧版がその基礎になっていることはいうまでもない。初版・・・第三版のためにご協力いただいた主な方々の芳名を併せ掲げて銘記したい」と岩波書店辞典編集部が記している。その協力者の一人(協力者などと称して済ませるには失礼だと思うが・・)に大野晋氏が名を連ねている。
大野先生の名著の1つに「日本語練習帳」がある。

その中の1章≪単語に敏感になろう≫のコラム【お茶を一杯】が面白い。
デカルトの哲学原理として有名な、『cogito ergo sum』というラテン語があります。現在、英和辞典にも項目として立てられていて、昔ながら『我思う、ゆえに我あり』と訳してある。co-は『共に』の意、-gitoはagitare『動かす』から来た言葉で、合わせて『事物を頭の中で1つにまとめる』とされています。もしcogitoがその意味なら、それを『我思う』と訳すのは不的確で、むしろ『我考う』とあるべきでしょう。最近のデカルト研究書では『私は考える』と訳しているものが多いようです」と指摘されている。


大学でラテン語をカジッタ我輩だが、当時からcogitoの訳として一般化していた『我思う』の≪思う≫の意味がよくわからずしっくりしなかった。
大野先生の『我考える』は我が意を得たりだ。
因みに研究社版「新英和大辞典」、cogito ergo sumは『我思う故に我あり』とある。
≪思う≫と≪考える≫の使い分けは難しい。安易に扱うべからず、推敲すべしだ。