Iraqiの深層−−求められるglocal(gobalocal=think globally and act locally)な視点

イラク駐留米軍の最後の戦闘部隊が撤退を開始し、クエート国境へ移動、19日までに完全撤退するという。
英国BBC Newsは今月初め“US President Barack Obama has confirmed the end of all combat operations in Iraq by 31 August”と伝えていたが、大統領は公約し計画していた戦闘部隊の撤退期限を前倒ししたことになる。


そのうえでBarack Obamaは“The remain 50,000 troops will stay in the country in order to train Iraqi security forces, conduct counterterroism oeprations and provide civilians with ongoing security”と今後約5万人の米軍部隊が駐留し、イラク治安部隊の訓練と支援、自爆テロ対策など、市民の安全保障が主たる任務となるだろうとつけ加えた。

米国とイラクは2011年末までに、駐留米軍の完全撤退で合意しているが、米駐留軍の撤退によりイラクの情勢はどうなるか。先行き不透明というより統治者能力があるか。宗派・民族など入り乱れたcivil war(内戦)に似た状況にならなければよいが・・。

先日、Academy Awardを独占した注目の映画“The Hurt Locker”を観た。米軍の置かれたイラク戦争の衝撃の真実とこの映画にちりばめられた米国のイラク侵攻の問題点を考えさせられた。

最近のアメリカ映画にはイラク戦争を題材にした作品が増えている。が、戦後のイラクに駐留する米軍兵士の内面を描いた作品として高く評価されるKathryn Bigelow監督のこの“Then Hurt Locker”でさえ、よく観ると、≪イラク人の生活や彼らが何を考えているのかは、全くと言っていいほど出てこない。描かれているのは「違う宗教と違う文化、考え方を持った、理解不能な人々」に囲まれて、途方にくれる米兵である。イラクと云う場所、そこに住む人々は、ただの背景でしかない。最初から、同じ立場の、理解しあうことのできる相手としては、扱われていない≫(S.K女史著『<中東>の考え方』より)

そもそも我々がよく呼称する「中東」と云う言葉と地域概念自体、欧米によって導入されたものだという。我々日本人も「中東はわかりにくい。中東の出来事は他人事」と片付け、「中東・イスラム地域は危険地帯」と決め付けているのが実状ではなかろうか。

先日、話題にした米国Disneyland Restaurantで働く中東女性のスカーフ(bijab)を巡る差別・排斥“事件”がその典型だ。欧米がイスラム社会のアイデンティティを認めていない証拠の1つだ。
スカーフを被ったり、イスラム銀行を利用したりする行為は、イスラム教徒として最も日常的で、手っ取り早く実践できることだろう。


S.K教授の視点を借りれば、「伝統墨守的な宗教権威に無批判に従うものでもなく、ましてや欧化を促す国際社会の顔色を見るものでもなく、人々は自発的にイスラームアイデンティティを選ぶことで、自己主張するようになった。ミニスカートをはいて女性解放を主張すれば、欧米社会に追随するだけだとみなされる。それならば、スカーフを被り、アバーヤを着て、アラブ社会の男女差別を糾弾しようと、湾岸諸国の女性たちは考える」ワケだ。
Muslim womanがhijabを被るのは、やみくもに伝統を守っているからではない。逆に、自分たちの権利主張と社会参加を求めているのである。

もう10年程前になるが、“グローカル”(glocal)という言葉が登場した。名詞はglocalisation(=globalocal)となろうが、和製英語の造語である。その意味するところは“think globally and act locally”。

現代社会は、地域の特性を重視する「ローカル化」(localization)と世界を普遍化する「グローバル化」(globalization)が、同時並行で共存する「グローカル化」(glocalisation)を特徴としている。中東地域がいま経験しているのは、のさにそのGlocalisationに他ならない」とするS.K先生のご指摘。全く同感、我が意を得たりである。